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わが町にも祭りはある。しかし、幼少期は、たまたま祭りに接する機会を逃し、会社勤めしてからは、果てしなく続く繰り返しの連鎖の中に埋没し、住居のある地元とはほとんど無縁の暮らしに終始した。 鎌田 實の『がんばらない』を読んだ。何度もテレビでのトークも聞いているし、テレビドラマ化された『がんばらない』も見た。そして、知ってるつもりになってしまった。 『がんばらない』〈あとがきにかえて〉から 《あの時代の心の決着がぼくのなかでまだできていない。都落ちするな、という友人の言葉に逆らって、どうしても都落ちしたかった自分があった。孤立無援の自分を見つけたかったのだろうか。孤独な実存を目指した自分の思いと違い、信州の自然と諏訪の人々によってぼくの心は癒され、想像外の急展開をした。吉本隆明の「共同幻想論」に対峙するような、「共生」とか「地域共同体」とかいうワナに、むざむざからめ捕らえられていく、自分の姿を感じた。それを遠くからながめている自分と、共生というくもの巣にからめ捕られながら、ある種の気持ちよさを感じているもうひとりの自分を発見したのである。》 鎌田氏は7年に一度の祭り、諏訪の御柱祭の中心周辺にも参加していく。完全に地域に溶け込んでいく姿は、感動的だった。これが、本来的意味の「自立」なのだと思う。 「鎌田 實とその時代」は実に多くのことを語りかけてくる。 |
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