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zoom RSS 黒岩六郎氏のエネルギー研究 原子力と太陽と

<<   作成日時 : 2011/06/28 23:07   >>

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 同級生、黒岩 仁さんは2006年・平成16年1月に亡くなった。あれから6年になる。なくなる半年前の夏、黒岩 仁さんは、父、黒岩六郎氏の自伝「二十一世紀へ生きる」とビデオカセット「丸山真男〜響き続ける民主化への執拗低音」を携えてわが家を訪れた。小学校の時代以来はじめてだった。今思えば、それはある引継ぎの儀式だったのかもしれない。
 自伝前半は、昭和22年から2期8年の県会議員の時代。その時代が黒岩六郎さんの輝かしい時代だった。そして、後半は、太陽熱利用を焦点として、新エネルギー開発を追及する。1974年から1984年までの10年間、朝4時に起きて、エネルギーに関しての新聞記事を切り抜く。朝8時までの作業。それをまとめつき1回、冊子にまとめ、国会議員から地域のオピニオンリーダーに配布する。
 1974年・昭和49年の夏、六郎さんは、息子、仁くんを伴って、新潟県柏崎に行き、東京電力柏崎原子力発電所の予定地を見る。
 そこで柏崎市議の芳川広一氏の話しを聞く。
「北越製紙土地を、刈谷原村長が中心で買い集めて、東京電力に売り込んだというのである。一坪100円くらいで村の公共用地にといって一帯を買い占め、東京へ年数も経ったとはいえ、2,500円で売り渡したというのだから、海岸をつぶされた村民が怒っているというのである。」
 鎌田 慧が週刊現代7.9に「僕は原発を止められなかった〜40年間取材し、書き続けたルポライターの悔恨」を書いている。鎌田氏の最初の取材地も、柏崎刈羽原発建設予定地。
 1984年2月、黒岩六郎しは、内閣総理大臣・中曽根康弘を国会内に訪ね、陳情書を渡している。内容は、原発の支出の再検討をすること。原発は30年後の廃炉費用等を考えると発電単価も高額になること。21世紀のエネルギーを2010年を目標に考えること。あと、教育問題、領土問題と続く。
 2011年3月11日。この時点で黒岩六郎氏の先見性を改めて発見している。黒岩六郎氏の「エネルギー研究の10年」は、本当はまだ誰にも超えられていないのだ。

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