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空想の現代史館ー「松代の近代遺産」
町の公民館の仕事で、長野市松代の史蹟探訪を企画している。 去年、個人で群馬県富岡の旧官営富岡製糸場を見に行ったり、和田英とその時代のことを同人誌に書いたり、クリント・イーストウッドのえいが硫黄島2部作を見たりした。また、松代大本営関係の著作を何冊か読んだ。 それらが、一続きのストーリーにまとまってきた。 しかし、それを、自分以外の人々にまとめてみてもらい説明するのは、やはりかなり難しい。 ここでは「空想の現代史館」松代にまとめようと思っている。 ...続きを見る |
2007/08/16 23:23 |
小樽の人C 田中隆雄
田中隆雄さんは、1968年3月から1970年3月にかけて、以前の私の勤め先の上司だった。 友人に送ってもらった田中隆雄遺稿集の年譜を見る。1922年長野県更級郡稲荷山町の生まれ。1940年小樽高等商業学校入学。1942年東北大入学---。 勤め先での仕事にスキー学校があった。小樽高商時代、ニセコスキー場での武勇伝を何度か聞いた。 遺稿集の冒頭に[昭和15・4 小樽高商入学]、「人生の悲劇」の項に 「人生の悲劇は有限の梯子を以って無限の世界に達せんとすることから生まれる。人の知は有限 ...続きを見る |
2007/06/23 10:45 |
小樽の人A なかにし礼
旧日本郵船小樽支店は、小樽市重要文化財として保存されている。 完工間もない明治39年(1906)11月にポーツマス条約に基く日露の樺太国境画定会議がこの建物で開かれた。館内には日露の国境の表示の石柱の展示もあった。 昨年、なかにし礼の自伝的要素もあるという小説「赤い月」を読んだ。 「野望を抱いて渡った満洲で手に入れた栄華の極み。しかし、絶頂もつかの間、ソ連軍の侵攻が、一家を逃亡生活へ追い込んだ。---」国家、戦争、家族と愛。 なかにし礼オフィシャルサイトを開くと、なかにしの顔写真と ...続きを見る |
2007/05/25 11:18 |
小樽の人@廣井勇(ひろいいさみ)
今度、初めて北海道へいった。5月15日から2泊3日で小樽と札幌を周った。 小樽に行った動機の一つが、たまたま知った小樽港の防波堤を作った技術者廣井勇のゆかりの地ということがあった。 「小樽に最初の外海に面した近代港湾を築いた廣井勇(1862−1928)は、その防波堤に日本で初めて使用する鉄筋コンクリートの100年先までの耐久性を試験するテストピースを数万個用意した。そのテストは現在も破壊試験を続け、当時からの耐久度が計られている。」高橋裕『地球の水が危ない』岩波新書 小樽運河を見たあと ...続きを見る |
2007/05/20 21:43 |
「松代大本営」資料展示施設が出来た
4月30日、松代の松代地下壕入り口近く、山寺常山邸前の”れきみち”に面した場所に、「松代大本営」の資料施設「れきみちの家」が出来た。土屋光男教頭が私財を投じて造ったという。昨日、見に行ってきた。 長野俊英高校郷土研究班の22年間の研究成果の成果がコンパクトにまとめられていた。 昨日は、郷土研究班のスタッフが熱心に説明してくれた。崔小岩さんの遭遇した坑内の事故については、語りで、生々しく再現してくれた。 帰りに「れきみちの家」開館記念特別号という冊子を買ってきた。B4版144ページ、篠 ...続きを見る |
2007/05/05 22:03 |
憲法的民主主義--ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』から
4月29日のNHKTV『日本国憲法 誕生』を見たあと、6年前に読んだジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』の第4部 第11章「GHQが新しい国民憲法を起草する--憲法的民主主義@」と 第12章「アメリカの草庵を日本化する--憲法的民主主義A」を読み返した。 当時は、感動して読んだ記憶があるのだが、内容はほとんど記憶に無いが、NHKの番組で扱ったほとんどの要素が含まれていた。あらためてこの本の重みを感じている。 番組には無かった印象に残った一点を引用しておく。 「新憲法が国体に根本的な ...続きを見る |
2007/05/04 21:13 |
憲法九条 平和への闘争〜50年代 改憲・護憲論〜NHKTV5月2日
昨夜のNHK「その時歴史が動いた」は「憲法施行60年特集 憲法九条 平和への闘争〜 1950年代〜改憲・護憲論〜」。 今回のその時は1960(昭和35)年9月7日、池田勇人総理大臣が、新政策発表の会見で「憲法改正はいま考えていない」と発言、までの憲法、13年間の軌跡を追う。 改憲・護憲の最大の山場は1960年の安保闘争だった。私の今までの理解では、改憲問題と結びついていなかった。 岸信介首相がアメリカ駐日大使(マッカーサー大使)との会談の記録を本国政府に送る。 「安保条約を改定 ...続きを見る |
2007/05/03 21:09 |
桐生悠々の「乃木・殉死」評価 ビックス『昭和天皇』から
ハーバート・ビックス『昭和天皇』を読み始めた。 第1章に乃木希典殉死について書いている。明治天皇が崩御して、明治が終わり大正時代が始まる。 殉死という風習は江戸幕府さえ野蛮とみなし禁じていたのであるが、新渡戸稲造、三宅雪嶺ら保守的文化人は、武士の忠誠の模範であるとし称揚する。 朝日新聞は武士道を復活させ、国民を誤らせかねず、感心できないと主張する。 <『信濃毎日新聞』主筆の桐生悠々はさらに一歩進めて、乃木の死を「愚挙」かつ「無意味」と非難したうえ「死ぬるばかりを忠義と心得る」のは ...続きを見る |
2007/05/01 17:26 |
「日本国憲法 誕生」4月29日NHKスペシャルから
昨夜のNHKスペシャルは「日本国憲法 誕生」だった。1時間15分の枠で放送された。 非常に興味深く見たのであるが、記憶力が減退してくると、番組の再現はほとんど出来ない。 NHKのHPを参照しながら、断片的印象をつないで行く。 まず、天皇と天皇制について。「国体護持」の精神にいかに日本側がこだわったか、を見ていかに大日本帝国憲法が日本人に刷り込まれているかに驚いた。「輔弼(ほひつ)」とか「至高」とか、「へんな日本語」で何とか旧憲法の精神を残そうとする一種涙ぐましい努力には、驚きあきれた。 ...続きを見る |
2007/04/30 21:51 |
ハーバート・ビックス『昭和天皇』のこと---昭和の日に
ハーバート・ビックスの『昭和天皇』の原著がでたのは、私の定年前だった。定年後なら時間的余裕も出来るだろうし、原著を買っても何とかなるだろうという見通しで購入してしまった。 HIROHITO AND THE MAKING OF MODERN JAPAN ---見通しは甘かった。 まず、定年後といえども、時間に余裕が出来るわけではない。時間を作るにも才能が必要なのだが、自分にはないことに気がついた。 そうこうするうち2年後には翻訳が出てしまった。その『昭和天皇』も購入したが、5年経過した ...続きを見る |
2007/04/29 23:31 |
堀辰雄『風たちぬ』から江藤淳『昭和の文人』---昭和の日に
高校に入って初めて読んだ小説が堀辰雄の『燃ゆる頬』、『麦藁帽子』などの作品だった。今から50年前である。 昨日から『風立ちぬ』の書き出し部分を声を出して読んでいる。これが意外と難しい。とても作品の雰囲気が私の朗読では再現できそうにない。 「----- 風立ちぬ、 いざ生きめやも。 ...続きを見る |
2007/04/29 17:42 |
メタボリズム(代謝建築)のその後は?
手許に、菊竹清訓の『代謝建築論ーか・かた・かたち』がある。昭和44年・1969年発行だから、38年前の本である。 菊竹清訓は、黒川紀章らとともに建築と都市の新陳代謝を図ろうとするメタボリズムを提唱した。 考え方のベースには、サブタイトル「か・かた・かたち」に見られるように、武谷三男の技術三段階論がある。技術を「現象論的段階」「実体論的段階」「本質論的段階」と三段階をおって視て行く。 メタボリズムと言うのは生物学的用語であり、新陳代謝という意味であり、建築、都市を生成発展する過程で捉 ...続きを見る |
2007/04/04 20:52 |
ルワンダ虐殺の生存者・ヨランデさんをかこむ会から
今日、アフリカのルワンダで1994年に起きた大虐殺で、夫と3人の子供を失った女性ヨランデ・ムカガサナさんを囲む会があった。ムランデさんはその体験から執筆活動に打ち込みユネスコ賞を受けた。 囲む会の主催は21世紀ボランティア研究センター・ホワイトバンドプロジェクトに長野日仏協会が協力した。会はフランス語と英語、日本語で進められた。仏語の通訳は滝澤忠義さん、杉浦真理子さん、英語は、参加者からの飛び入りの何人かの協力者で、その実力には感心した。会の参加者は50人ぐらいだったか---。 ヨラン ...続きを見る |
2007/03/09 21:27 |
ボードリヤール氏 追悼
3月6日フランスの思想家、ジャン・ボードリヤール氏が亡くなった。 氏の著作で読んだのは、吉本隆明氏との共著「J.ボードリヤール×吉本隆明 世紀末を語る〜あるいは消費社会の行方について」と「湾岸戦争は起こらなかった」の2冊である。 その後、「消費社会の神話と構造」を買ってきたが未読である。 「世紀末を語る」は1955年2月来日、阪神大震災の被災地を訪れ、その後地下鉄サリン事件が起きる。パリからFAX送信された「顔のないシステム、顔のないテロル」が追加収録されたコメントが印象に残っている。 ...続きを見る |
2007/03/09 00:47 |
リデック駐日フランス大使夫妻歓迎レセプションから
2月25日駐日フランス大使ジルダ・ル・リデック大使は長野県知事、長野市長を表敬訪問のため訪れたが、25日の夜、長野のホテルメトロポリタンで、長野日仏協会主催の歓迎レセプションが開かれた。各界の50人ほどの人たちが集まった。 まず、会長の滝澤忠義さんの歓迎の挨拶。19世紀末、ヨーロッパでは蚕の伝染病が大流行した。そのとき信州からも蚕種をフランスに輸出してお役に立てた。その後、日本の蚕糸業の初めの時は、富岡製糸場でフランスの人たちから製糸の技術を教わった。その技術は松代の工場にも伝えられた。ま ...続きを見る |
2007/03/05 21:39 |
「上野誠版画館」再見 沖縄「佐喜眞美術館」の小冊子から
一昨日の長野市民新聞に南県町に沖縄料理の、太陽家(ティダヤ)という店の紹介記事が載っていたので出かけた。モズクそばを食べた。旨かった。 帰りにその店で売っていた沖縄の「佐喜眞美術館」で出している小冊子を買ってきた。先月沖縄へ行ったが、この館のことは参照したガイドブックになかったので知らずに帰ってきた。 佐喜眞美術館の展示の目玉は、丸木位里・丸木俊共同製作の連作「沖縄戦の図」、そして、上野誠の連作版画「原子野シリーズ」「広島の三部作」「原爆の長崎」などとあった。 ここで、わが近所の美 ...続きを見る |
2007/02/24 21:09 |
一代三十年、硫黄島の二代六十年
先月、長野ペンクラブの同人誌「層」105号が出た。そこに<ちりあくた>と言う人がエッセイを書いているが、その中の「一代三十年」という項に共感した。二代なら六十年になる。 昨年8月NHKスペシャル『硫黄島玉砕戦 61年目の証言』が放送された。60年以上も取材できなかったのはなぜか考えたがよく分からなかった。 秋草鶴次『十七歳の硫黄島』も61年目の初公開である。理由は、父母には見せたくなかった、両親が存命中は公表出来なかったのだ。 大宅壮一賞の梯久美子『散るぞ悲しき』も、硫黄島から2世 ...続きを見る |
2007/02/04 13:58 |
滝澤忠義・段丹映子『まんが ぜんこうじさん』を読む
信州、信濃の善光寺は、私にとっては、地元であり、身近すぎて、今までよく見えなかった。 住んでいる場所よりも、より遠いところに興味を持つ傾向は、若い頃は特に強いと思う。 今度、善光寺から出ている滝澤忠義=脚本 段丹映子(だんたえこ)=漫画の『まんが ぜんこうじさん』を読んだ。 今まで、善光寺には、数え切れないほど行ったことあり、関連した書物も何冊か読んだはずなのだけれども、殆ど身についていないことに気がつき愕然としている。 善光寺を漫画で読み、善光寺の昔と今がようやく見えてきたよう ...続きを見る |
2007/02/02 21:48 |
韓国映画『王の男』王様と芸人@ヨンサングンとタークシン
昨日、韓国映画『王の男』を見た。16世紀初頭、朝鮮王朝第10代目の王ヨンサングンと芸人達の物語。 昨年の秋、9月に韓国に行き、11月にタイに行った。この映画を見て、朝鮮王朝とタイ王朝の2人の王のことを思った。 まず、朝鮮王朝10代の王ヨンサングン。在位は1494年〜1506年の12年間。韓国史上最大の暴君と呼ばれ、臣下のクーデターにあい、王権を剥奪され、30歳で死去。 一方、タイのトンブリー王朝のタークシンは、ビルマの占領から、タイを奪還、トンブリー王朝を築く。在位は1767年〜1 ...続きを見る |
2007/01/30 21:40 |
富岡製糸場・世界遺産「暫定リスト」、松代西条地区は
今度、群馬県の富岡製糸場と絹産業群遺跡群ほか3件が、世界文化遺産登録候補の「暫定リスト」に載った。 富岡製糸場から帰った伝習工女、和田英の働いた西条六工社の跡地は、長野市松代の西条地区にある。木の柱の標識と小さな説明版と、石垣にわずかに痕跡を残している。 そして、ここは松代大本営地下壕の地でもある。そして、六工社跡地には、地下壕建設当時「慰安婦の館」跡としても議論を呼んだことがある。 さらに、松代西条は、硫黄島・総指揮官・栗林忠道の出身地でもある。硫黄島の地価に穿たれた洞窟と、松代 ...続きを見る |
2007/01/25 21:25 |
沖縄の旅から---硫黄島に穿たれた洞窟と沖縄のガマはつながっていた
1月18日から2泊3日で沖縄へ行ってきた。1日目---美ら海水族館 2日目---万座毛---琉球村---ひめゆりの塔---平和祈念公園---糸数壕(アブラチガマ) 3日目---守礼の門・首里城---瑞泉泡盛工場---海軍壕---という旅程だった。 1972年5月、今は亡き友人、飯島一彦が「これから沖縄へ行く。パスポートを使って沖縄入りし、帰りはパスポート無しで帰ってくる」と言った。 1972年(昭和47年)5月25日、27年にわたるアメリカの支配が終り、沖縄は日本に返還される。飯島一彦 ...続きを見る |
2007/01/23 20:54 |
田村喜子『京都インクライン物語』から 世界技術史の奇跡の時代
田村喜子の『京都フランス物語』の後、引き続き『京都インクライン物語』を読んだ。時代は、同じく明治維新後、遷都後の京都、人口は激減し、沈滞の極みにあった。 そこで進められたのが、琵琶湖から京都へ水を引く琵琶湖疏水の計画だった。琵琶湖の水を途中の山にトンネルを穿って京都へ導き、水路に船を通し貨物輸送し、落差を利用し産業用の動力を獲得、同時に飲料水と農業用の灌漑用水を得るという多目的水路を作る疏水計画だった。 この事業の立役者は二人、練達の地方行政官、北垣国道知事と若年の土木技師、田辺朔郎だ ...続きを見る |
2007/01/13 21:14 |
藤田嗣治は戦争を描くことで戦争を超えた
『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』を始めて最初から最後までカラー図版、解説と資料に目を通した。 私が藤田嗣治に関心を持ったのは、1999年8月に放送されたNHKスペシャル『空白の自伝・藤田嗣治』を見て以来である。 その後、2002年にこの番組の製作者近藤史人の評伝『藤田嗣治「異邦人」の生涯』と同時に、画集も刊行されたのだけれど、「評伝」を読み終えて藤田を分かったつもりになってしまい、画集を丁寧に見ることは後回しになった。 『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』には、戦争画は6点収載され ...続きを見る |
2007/01/09 22:12 |
『風林火山』から14年前のNHK大河ドラマ『琉球の風』を振り返る
昨夜NHK大河ドラマ『風林火山』第1回を見た。これから毎日曜、数十回の放送が続くが、私はどれだけ見られるだろう。書物と往還しながら見て行こうと思う。 今まで見たNHK大河を振り返った見ると、まず1960年代『竜馬がゆく』、70年代『黄金の日々』、80年代はなくて、90年代は、オンエアは殆ど見ないで、手許には全3巻の原作が残っている。 陳 舜臣の『琉球の風』である。「ウィッキペディア」で見ると、1993年1月10日から6月13日まで放送された第31作のNHK大河ドラマ、とある。 原作 ...続きを見る |
2007/01/08 22:02 |
クリント・イーストウッド「硫黄島2部作」のあと藤田嗣治の戦争画を見る
松本市美術館で『近代日本洋画の志深く』展の後、以前見た藤田嗣治の戦争画のことを思い出した。 手許に朝日美術館「戦争と絵画」という画集がある。<戦争と絵画>というテーマで日本の近現代の絵画が集められている。 代表的な1点を選んで見る。 藤田嗣治『サイパン島同胞臣節を完うす』 1945年 181.0×362.0 東京国立近代美術館 1944年7月、サイパン島でその守備隊と多数の民間人計4万余人が戦死、自決した。その1ヶ月半ほど後、日本の新聞にアメリカの雑誌記事をもとにした戦況を伝える ...続きを見る |
2007/01/07 22:27 |
NHK大河ドラマ『天と地と』から『風林火山』まで
明日からNHK大河ドラマ『風林火山』が始まる。ここ川中島合戦の地元では何かと話題になっている。私は、ここ数年、このドラマを殆ど見ていないが、今度は、珍しく早めに原作を読み、これから時々は覗いて見ようと思っている。 海音寺潮五郎の『天と地と』を原作とするNHK大河が放送されたのは1969年、今から38年前と言うことになる。 『キムの十字架』で有名な和田登が『恐竜公園たんじょう物語〜情熱とロマンの人・小島武彦』を書いている。長野市の観光課に籍を置いた小島さんが、長野市篠ノ井茶臼山の恐竜公園 ...続きを見る |
2007/01/06 16:55 |
松本市美術館『近代日本洋画の志深く』展から
今日、松本市美術館で開かれている、松本深志高校創立130周年記念の『近代日本洋画に志深(こころざしふか)く』展を見てきた。 司馬江漢ら江戸の初期洋画を描いた人たち。高橋由一から始まり、浅井忠、中村不折、黒田清輝らの作品200余点が展示されていた。近代日本洋画の志が伝わってくる。 会場を出たら、見終わった年配の人たち数人の会話が聞こえてきた。「教科書で見た戦争の絵があって懐かしかった。戦争をしなければ良かった。」私よりひとまわり上の世代の人だろう。大日本帝国の版図が最大だった頃を懐かしん ...続きを見る |
2007/01/05 18:04 |
クリント・イーストウッド『父親たちの星条旗』から
昨日、クリント・イーストウッドの「硫黄島」2部作の内の『父親たちの星条旗』を見た。 1945年アメリカ軍は硫黄島に上陸し、短期間のうちに擂鉢山の頂上に星条旗を立てる。原作のタイトルでもある『硫黄島の星条旗』である。 秋草鶴次『十七歳の硫黄島』第4章は「擂鉢山の日章旗」だが、その要約は、 <伝説となった擂鉢山頂上の星条旗掲揚---。 しかし、二度にわたって日章旗が取って代わった事実はあまり知られていない。 その後、白兵戦を交えた地上での殺戮戦が激化し、一進一退の攻防戦が展開された ...続きを見る |
2007/01/04 22:06 |
秋草鶴次『十七歳の硫黄島』から
昨年の夏NHKスペシャルで「硫黄島玉砕戦---生還者61年目の証言」が放送され、当店ブログに私も感想を書いた。 その番組にも登場した、秋草さんの『十七歳の硫黄島』が出版された。秋草鶴次、1927年、群馬県生まれ。志願兵として玉砕の地・硫黄島で戦い、傷つき、壕の中で生き延びること約三ヶ月。生還後、硫黄島体験を精緻に記録する。父母が亡くなった後、61年目に初めて公開する。 巻末の「謝辞」から引用する。 <死を覚悟して敵前に身をさらし、爆弾や鉄砲弾による直撃弾などで戦死する者の多くは「天皇 ...続きを見る |
2007/01/03 23:30 |
クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』を見た
1945年2月19日、アメリカ軍の上陸とともに始まった硫黄島をめぐる攻防は、5日で終るというアメリカ側の予測に反して36日におよぶ長期戦になり玉砕戦として終結する。 映画を見た最初の印象は、この映画は、アメリカ人の作ったアメリカ映画だということ。アメリカという鏡に写って日本の姿が、浮き出してくる。 キーワードは、天皇と天皇制、そして忠君愛国である。そして、現在の日本の情況にそれは違和感無く受け入れられていくことが不思議で、そして悲しい。 「文芸春秋」2007・1号で、硫黄島・総指揮 ...続きを見る |
2007/01/02 21:31 |
田村喜子『京都フランス物語』から 日仏文化協会の創立まで
田村喜子『京都フランス物語』を読んだ。1984年、今から23年前に出版された。 1868年 鳥羽・伏見の戦 五箇条の御誓文 明治に改元 東京に遷都 遷都後の、疲弊した京都の起死回生を願って、時の為政者は、古都を近代産業都市に再生を目指す。フランスへの留学生派遣がその政策の一事業だった。巨額を投じこの事業を遂行する。 20歳にも満たない若者たちが、それぞれ使命感に燃えてフランスに赴く。染色、、織物、陶芸などの技術の習得のためである。 この本では、8人の選ばれた若者たちが、京都か ...続きを見る |
2007/01/01 22:15 |
田辺聖子『おせい&カモカの昭和愛惜』から
田辺聖子の文春新書『おせい&カモカの昭和愛惜』を読んでいる。この本はNHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」の原案にもなっている。 まず始めは「おせいの昭和館」は『川柳でんでん太鼓』のから引用している。 「昭和史の中ほどにある血糊」(花巻 小田島花浪) 今、話題の映画『硫黄島からの手紙』。硫黄島総司令官・栗林忠道の出身地は長野市の松代西条、硫黄島の戦闘の当時、ここでは大本営地下壕の工事が進行していた。昭和史の中ほどの血糊は度はずれている。田辺さんは「血に染んだ昭和史は白くならない。」 ...続きを見る |
2006/12/29 18:00 |
日垣隆『「松代大本営」の真実』 12年目の再読
山根昌子『遙かなる旅』の読後に、以前読んだ日垣隆『「松代大本営」の真実』を読み返している。「序章 遭遇---遺志を継ぐ---」でこの本は山根昌子の遺志を継ぎ日垣隆が執筆したことが分かる。 1986年8月に『遙かなる旅』が銀河書房から出版されるが、当時この本には帯がついていたという。「松代大本営工事に従事させられた朝鮮人を父にもったひとりの女性 いわれなき差別とたたかいながら 北朝鮮に住む家族との再会を求めて海峡を越えてゆく」、と日垣隆は書いた。 19歳の春、山根昌子は家族と合流し北朝鮮 ...続きを見る |
2006/12/24 14:57 |
山根昌子『遙かなる旅』 20年後の感想
山根昌子『遙かなる旅〜戦後史の谷間かから』を読んでいる。この本は、一昨年、長野市南部図書館のリサイクル本として手に入れた。リサイクル本と言うのは、除籍された本である。 破損した本や、古い本は除籍され処分される。この本は1986年・昭和61年の発行だから20年前と言うことになる。私にとっては手許にあって都合がいいが、公には残念である。 山根昌子は1944年・昭和19年、5歳で、松代大本営工事に徴用された朝鮮の父と、母と一緒に松代に来て、苦しい幼少期、少女期を過ごす。 看護学校を目指す ...続きを見る |
2006/12/22 15:04 |
上条宏之監修『信州の近代遺産』から
『信州の近代遺産』は、信州各地の1955年頃までの近現代遺産179をカラー写真と説明コメントで構成されている。ほうずき書房刊。 この本には文化財指定に登録されたものは少ない。原形を一部しか残していないものでも歴史の証人にふさわしいものは収録すると言うのが編集方針である。 まず第一番目は長野市松代にある「西条製糸場跡」。跡地を示す標識と説明の看板がなければ分からない。工場跡は、水路と、石垣にわずかに痕跡が残っているのみ。 和田英『富岡日記』の第2部にあたる「明治7年7月より12月まで ...続きを見る |
2006/12/18 21:18 |
八田千鶴自伝『夢自在 旧松代藩御用商人 八田家に吹いた風』から
八田千鶴自伝『夢自在 旧松代藩御用商人 八田家に吹いた風』聞き書き石川利江 信毎発行、を見ている。 19歳で旧松代藩御用商人の旧家に嫁いでから、『婦人之友』をかたわらに、夢を実現させてきたきた一人の女性。時代のうねりを肌で感じながら、いまなお衰えぬ88歳の情熱---。」<帯の言葉> 昭和20年8月13日、松代の空襲に見舞われる。八田家は近くに落ちた爆弾の余波を受けて、玄関や窓のガラスなどが被害を受ける。 終戦後の9月17日、松代大本営の建設に携わっていた軍人に「天皇陛下の御座所」に ...続きを見る |
2006/12/18 00:28 |
『風林火山』川中島の戦いの頃、タイではビルマとの熾烈な戦いが!
来年NHK大河ドラマは『風林火山』で、川中島の戦いの当地では、観光宣伝の企画がいくつか進められている。 ここしばらく、タイの歴史を眺めていたので、その時代のタイはどんな時代だったかが気になる。 1561年、上杉謙信、武田信玄と信濃川中島に戦う 1563年、タイではビルマがアユタヤ朝を攻撃 1568年、信長、足利義昭を奉じて入京 同年、タイではビルマ軍再びアユタヤを包囲 1569年、タイではビルマ軍、アユタヤを占領、 1603年、家康、江戸で幕府を開く 17 ...続きを見る |
2006/12/16 22:47 |
漱石『我輩は猫である』 いじめ、自殺について
『我輩は猫である』、最終11回が面白い。迷亭・寒月・東風等すべてのメンバーが苦紗弥先生宅に集まる。 「---ただたいていの者は知恵が足りないから自然のままに放擲しておくうちに、世間がいじめ殺してくれる。しかしひと癖あるものは世間からなしくずしにいじめ殺されて満足するものではない。必ずや死に方について種々考究の結果、斬新な名案を提出するに違いない。---」 「漱石の文学が現代に生きている一つの理由は、---過去の感受性と倫理観を保持しながら、漱石は「近代」の裏側にまで突き抜けている。」新潮 ...続きを見る |
2006/12/14 23:37 |
ジョディ・フォスター主演 映画『アンナと王様』とその時代は?
今度、ジョディ・フォスター、チョウ・ユンファ主演の『アンナと王様』を見た。以前見たデボラ・カー、ユル・ブリンナーの『王様と私』と同じテキストに基いて作られている。そして、ともにタイ国内では上映禁止となっている。『アンナと王様』のロケはすべて隣国マレーシアで行なわれたという。王様はラーマ4世。その時代を少し覗いてみた。ロン・サヤマナン『タイの歴史』から。 ラーマ4世の外交政策は英国との友好であった。王は英国が反抗を許さないことを熟知していた。英国に反抗したビルマは1824年と1852年の2度 ...続きを見る |
2006/11/28 21:38 |
国際都市の変貌 アユタヤ---バンコク
11月3日、バンコクから車でチャオプラヤー川に沿って、世界遺産・アユタヤ遺跡にいった。 アユタヤは14世紀半ばから、1767年ビルマ軍に滅ぼされるまでインドシナ半島の中心都市として栄えた。 並び立つ仏塔の列、頭のない仏像の長い列の語りかけてくるものは、過去の栄光、都市が滅ぼされても、なお残るもの---。 17世紀に全盛期を迎えたアユタヤには、東南アジア域内の人々、中国人、日本人、インド人、オランダ人などが多数居住していた。 1685年にフランスのルイ14世が派遣した使節の随行員に ...続きを見る |
2006/11/18 21:44 |
スコータイ、アユタヤ、バンコク、川を下る港市国家・タイ
バンコクから帰ってから、弘末雅士の『東南アジアの建国神話』を読んだ。 そこで、印象に残った言葉が「港市国家」、「コウシコッカ」と読むらしいが、東南アジア史研究によく使われるという。 東南アジアの前近代国家は、多くが王都に交易港を有した。交易港を不可分の構成要素としてもつ国家を「港市国家」と呼ぶと言うのだ。 タイの場合は年代の古い順から、13世紀中ごろからのタイ最初の国家スコータイ、17世紀に全盛期を迎えたアユタヤ、そして、18世紀末、タイの首都として創設されたバンコク。大河、チャオプ ...続きを見る |
2006/11/17 17:06 |
タイの旅から バンコク名物、交通大渋滞とクーデタ
バンコクの交通大渋滞のことはガイドブックで読んではいたが、実際に見て、そのすごさに驚いた。走っている車を見ると殆どがトヨタである。その次にホンダ、そしてISUZU、あとはまれに日産という感じである。そして、ホンダ、スズキなどのバイクもまた多い。車の間をすり抜けていく。以前、自動二輪に乗っていたことがあるので、車をすり抜けていく勇気とテクニックには感嘆した。渋滞対策として導入されたスカイトレインにも乗ってみた。快適ではあるがまだ路線は少ない。バンコクの人口は2千万、東京が1千2百万、巨大都市であ ...続きを見る |
2006/11/10 21:49 |
タイの旅から 水上マーケット・国立博物館・ジムトンプソンの家
11月4日は、朝早くホテルを出発、バンコクから1時間半走り、途中椰子園の売店により、水路を船外機つきの高速ボートに乗りダムナン・サドゥアク水上マーケットに到着した。日用品、みやげ物を山積みにした小舟が何十艘と集まるタイ名物の朝市。市場の熱気に圧倒された。 その後、バンコク名物の交通大渋滞に出逢い、ようやくタイ国立博物館に到着した。チャオプラヤー川に沿って、王宮、涅槃寺などが立ち並ぶ、バンコク観光のメッカにある。 スコータイ朝、アユタヤ朝、そしてバンコク朝と、タイの歴史と文化を通して見る ...続きを見る |
2006/11/09 21:45 |
タイの旅から アユタヤの山田長政
11月3日は、バンコクから車で約1時間半のアユタヤへいった。 アユタヤは1991年に世界遺産に登録された。14世紀の半ばから1767年、ビルマ軍に滅ぼされるまで、400年以上にわたってインドシナ半島の中心都市として栄えた。ほとんどの建物ははビルマ軍によって破壊され、往時を偲ぶことは出来ないが、頭のない仏像や建物の部分が歴史公園として保存されている。 タイに来る前に、タイ国立芸術大学で客委員講師もしていたという、語り部、瓜生喬の『灼熱の陽 アユタヤに落ちて 異聞・山田長政』を読んだ。本来声 ...続きを見る |
2006/11/09 17:46 |
タイの旅から バンコク、王宮周辺
王宮周辺は、王宮と王宮の守護寺院であるエメラルド寺院を中心に多くの寺院や仏塔が集中する地域。 王宮は、現ラッタナーコシン王朝を開いたラーマ1世が造った。国王は現在は住まわれておらず王室行事の際だけ使用されている。 タイから帰って、ユル・ブリンナー、デボラ・カー主演の映画『王様と私』を見た。原作は、アンナ・レイノウェンズの日記『シャム王宮の英人女家庭教師』を基にマガレット・ランドンが書いた小説『アンナとシャムの王様』。時代は1860年代、王様はラーマ4世。血統は現在まで続き現在のプミポン ...続きを見る |
2006/11/08 22:01 |
タイの姫君、山田長政と三島由紀夫「暁の寺」
1976年に出た瓜生喬『花鳥風月 そして雪』を読んだ。10年前、長野にある龍鳳書房から出版された。この本のフルネームは『瓜生喬名作セレクト 花鳥風月そして雪 語りべ瓜生喬の世界』である。 いま私はカルチャー教室で「朗読・ナレーション」を受講しているが、声を出して読む本を探してみた。 最初に載っている作品は『灼熱の陽アユタヤに落ちて 異聞・山田長政』である。 少年時代、偉人伝の中の1冊に「山田長政」を見かけたが、今まで、その物語を知らずに来てしまった。 山田長政は、17世紀初頭、慶 ...続きを見る |
2006/10/16 21:21 |
映画『ホテル・ルワンダ』Aフィクションが現実になる時
ジャーナリスト藤原章生は『絵はがきになった少年』の最終章で、大虐殺に加わったとされるフツの人々をキガリ刑務所に訪ねる。 アガサ・クリスティーのフランス語訳を読んでいた元大学教授の言葉、「ツチとフツの違い?そりゃ神様だけが知っている謎ですよ」 なぜツチとフツは殺しあうのかという問いに対して、「殺し合い。それは風のようにやってくる。雪のようには来ない」という、どう理解したらいいのか分からないうちにこの本は終ってしまう。 現地、ルワンダの今日、ただ今の現実だと思う。それに対して、私はコメ ...続きを見る |
2006/10/12 21:26 |
映画『ホテル・ルワンダ』@歴史認識について
『ホテル・ルワンダ』の長野市での、上映会は10月8日に開かれた。 まず、背景の歴史認識について--- ドイツがルワンダを植民地化して間もない今世紀の初めに、ある行政官が「ルワンダ封建社会説」を唱える。効率よく統治するためのフィクションである。ルワンダ王国の支配は官僚制を有する中央集権的なものに強化され、ツチ人とフツ人の関係は封建的な主従関係に作り変えていった。 第一次大戦後、国際連盟は、ルワンダを戦利品としてベルギーに与える。ベルギーは一層、人種差別思想教育を徹底していく。かつて統一 ...続きを見る |
2006/10/11 11:20 |
「下士官の力」---フルシチョフの場合
昨日の日記に「人間魚雷・回天」を発想し、造り上げた下士官のことを書いたのだけれど、ここで、吉本隆明の『丸山真男論』の中の一節を思い出した。 「スターリン主義を、スターリンに対する個人崇拝と、スターリンの性格的欠陥にすりかえたのは、フルシチョフをもって嚆矢とするが、スターリン時代に、ソ共の実質的権力を持っていたのはフルシチョフのような下士官クラスだったとおもう。そして、理論と思想は下士官クラスの責任回避のために、スターリン個人にシンボル化された。」 情況は、まるで違うのだけれども、下士官 ...続きを見る |
2006/09/27 22:52 |
リサイクル兵器・人間魚雷「回天」
映画『出口のない海』の広告をみて、わが家にあった1冊の本を思い出した。1985年、山口放送はテレビ番組『死者たちの遺言ー回天に散った学徒兵の記録』を製作。それをディレクター磯野恭子がまとめ青春出版から出した。 「回天」は太平洋戦争期に開発され、元来、巡洋艦から発射されるべき魚雷を改装したものだった。 原型となった九三魚雷は、日本海軍が開発した優秀兵器の一つであったが、米軍がレーダー戦を研究し、航空機による爆撃に主力を切り替えると、九三魚雷の威力は失せ、軍港の倉庫に何百基と眠っていた。 ...続きを見る |
2006/09/26 22:15 |
大日本帝国・朝鮮総督府はどこにあったか?!
ソウルにある景福宮は朝鮮王朝の壮麗な宮殿であり韓国の代表的な宮殿文化財である。 観光ガイド、シン・ヒョンギョンさんの説明を基に、かいつまんで、まとめてみる。 朝鮮王朝建国時、1395年に建てられた。広大な敷地に200棟を越える殿閣があり栄華を極めた。 1592年壬辰倭乱(豊臣秀吉の文禄・慶長の役/1592年〜1598年)により、宮殿のほとんどが焼失。 その後、再建されるが、1910年日本帝国により国権を奪われ景福宮内の200棟あまりの殿閣が破壊され、勤政殿など10棟あまりを残した ...続きを見る |
2006/09/12 17:39 |
テロ、戦争---無知、無関心がすべての根源
板門店、共同警備区域内の売店には、魔よけのアクセサリーとか、菓子類とか様々なものが売っていたが、結局『板門店〜韓国民族分断の現場』という冊子を買ってきた。 その中の「歴史的背景」の章に、1950年1月、米国務長官アチソンは、全国新聞記者クラブの演説で「アリューシャン列島から日本を経てフィリピンにいたる防衛線から韓国は除かれている」ことを明らかにする。北側への、侵略0Kのゴーサインである。 ドン・オバードーファーの『二つのコリア』には、それより遡ること5年「1945年に当時の国務長官エド ...続きを見る |
2006/09/11 09:16 |
ソウルから帰って読んだ『白磁の人』〜浅川巧の生涯
いつか読もうと思っていた本の1冊が江宮隆之の『白磁の人』だった。大正3年に朝鮮に渡り、日本の植民地時代に、朝鮮の人々と共に、朝鮮の陶磁器や木工品など民芸品の中に朝鮮民族文化の美を見出し、それを広く紹介した浅川巧の生涯を描いた小説である。 印象に残った一点だけを記しておく。浅川巧の最初の著書は『朝鮮の膳』だった。その結びの言葉。「疲れた朝鮮は、他人の真似をするより、持っている大事なものを失わなかったなら、やがて自信のつく日も来るであろう。このことはまた工芸の道ばかりではない。」 事前に、 ...続きを見る |
2006/09/10 21:56 |
朝鮮戦争 日本掃海隊 靖国合祀拒否
板門店の共同警備区域JSAには、朝鮮戦争に参戦した16ヶ国の国旗が掲揚されている。当然のことながら日本の国旗はない。 数年前、児島 襄の『朝鮮戦争』を読んでいたら、日本が朝鮮戦争に参加していたことが書いてあった。角川文庫版で10ページにわたり日本掃海隊の出動から、帰還までが記述されている。昭和50年、サンフランシスコ講和条約調印以前の段階である。 米極東軍司令部は、磁気機雷処理を得意とする日本掃海隊に注目、海上保安庁に出動を要請。海上保安庁長官は、首相吉田茂に裁断を求める。 元山上 ...続きを見る |
2006/09/10 17:24 |
韓国・板門店・『JSA』観光
9月5日から3日間、韓国・ソウルに行き、南大門市場見物、翌日はバスで板門店に向かい、非武装地帯DZMに沿って、共同警備区域JSAに行った。 JSAとは共同警備区域Joint Security Areaの略号。朝鮮戦争は1953年に一応の休戦を迎えるが、南北朝鮮のいずれにも帰属しない中立地帯として、板門店に設定された空間。 映画『JSA』はイ・ビョンホン、イ・ヨンエらの出演で数年前、大ヒットした。 ドン・オーバードーファーの『二つにコリア 国際政治の中の朝鮮半島』は、「第1章 野鳥囀 ...続きを見る |
2006/09/09 18:17 |
小林英夫『満州と自民党』(新潮新書)から
友人、飯島一彦は1983年に亡くなったが、生前出版した唯一の著書の筆者紹介の項に「1940年・関東州大連市に生まれる」とある。彼が「大連」にどのような思い入れがあったのかは、解らない。 小林英夫の『満州と自民党』を読んだ。この本の印象の断片を記しておく。 現代の我々は、近代文明は太平洋を渡って東から来たというイメージをもっている。しかし当時の資料で調べると、東京から満州経由では、パリまで約半月でいけた。しかし、やはり東京からシンガポールを経てインド洋経由で行くと、約3ヶ月、経費も3倍か ...続きを見る |
2006/09/02 20:26 |
来年「NHK大河」、『風林火山』を読んだ
会社勤めをしている間だは、なぜか忙しく、振り返ってみれば何をしていたのか判然としないが、郷土の歴史については、老後ゆっくり読もうと思っていた。気がつけば、老人の自覚もないままに「老後」という時期に入っていた。昨年、海音寺潮五郎の上杉謙信を主人公とする『天と地と』を読んだが、「NHKの大河」の放送が1969年(昭和44年)と言うから、三十数年遅れと言うことになる。 昨日、来年の「NHK大河」の原作と言う、井上靖の『風林火山』を読んだ。井上靖の作品も初めてである。 「自ら謀殺した諏訪頼重の ...続きを見る |
2006/08/29 00:13 |
「携帯」でアンケート、NHKの愚行
8月15日「終戦の日」、小泉首相は靖国神社を参拝した。そして、終日テレビはこのニュース映像で埋め尽くされた。またしても靖国神社の空撮。ヘリコプターは大事に使え! 1995年、来日したボードリヤールは、阪神大震災の被災地で言う。 「TVの画面が現実を隠す。TVや映画の画面をさすスクリーンという言葉には現実を映す鏡と同時に現実を隠すマスクという意味もある。」 過去から、現在に至る戦争の実相、そして責任等々、多くのことが隠されてしまった。 夜、HHKテレビで、恒例の「終戦記念花火大会」 ...続きを見る |
2006/08/16 11:44 |
宣戦布告なき戦争・日中戦争の惨状!
今まで、日中戦争が、いまいちよく分からなかった。南京大虐殺はあったか、なかったかといった奇妙な論争など。 8月13日NHKで「日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのか」が放送された。 当時、中国国民政府を率いた蒋介石の日記が公開された。日中戦争の背景を物語る重要な資料である。蒋介石の意図は日中戦争を世界戦争へと拡大し、米ソの力で日本を倒すという骨太な構想だった。なお、蒋介石はヒトラーのドイツから軍事顧問団と大量の武器の供給を受けていた。 これに対し、日本は不拡大方針を掲げたにも関わらず、「中 ...続きを見る |
2006/08/15 11:35 |
声のデカイやつが決めた!満蒙開拓
ここ何年か、NHKのいわゆる「終戦特番」を見ているが、多分、2001年以降、大勢の立場の異なる人々を集め、弁舌巧みな司会者がつつがなく進行し、無難に終了していた。 しかし、今年は、様子が変わった印象を持った。8月7日の「硫黄島玉砕戦」では、生還者の敗戦以来61年目の証言が放送された。 8月11日の「満蒙開拓団はこうして送られた」では、戦後61年間、多分群馬県だったと思うが、遺族の土蔵に眠り続けていた関東軍将校の資料を公開した。詳細なメモ、日記が残されていたことに驚いた。 テレビの性 ...続きを見る |
2006/08/14 21:29 |
『富岡日記』と『城下の人』から大日本帝国が見える
筑摩書房から現代日本思想体系4として、吉本隆明編集・解説の「ナショナリズム」が出版されたのは1964年である。42年前もことである。以来、吉本隆明の解説『日本のナショナリズム』を読んできた。 当時、無学にして無知蒙昧な私に対して、今はなき児童文学者柴田道子さんは言った。「みんな覚えてしまいなさいヨシモトを!」。悔しいことに時間がなく対象を限定するしかなかった。 結果、吉本の解説部分しか読めなかった。戦後教育を受けたものにとって、戦前の文献は殆ど外国のものと同じと思う。「大日本帝国」と「 ...続きを見る |
2006/08/10 22:22 |
「絶対悪」は存在する Nスペ『硫黄島玉砕戦 61年目の証言』から
8月7日、NHKスペシャル『硫黄島玉砕戦の真実 生還者61年目の証言』を見た。 太平洋戦争の激戦地になった小笠原諸島・硫黄島の戦闘とは何であったのか。本土決戦に向け国民を鼓舞する”玉砕戦”とされながら、番組を見ていくと、大本営の宣伝は、総指揮官栗田忠道の現地からの電文も完膚なきまでに改ざんされ、宣伝映画の映像は過去の戦闘場面をモンタージュした、虚偽の映像だったことが分かる。 沖縄戦、本土決戦に備えるという口実の元、大本営は硫黄島を完全に見捨てる。そのことは現地の21,000人の将兵にも、 ...続きを見る |
2006/08/09 13:43 |
石光真清『城下の人』 大日本帝国の姿が見えてくる
石光真清は、日清・日露・第一次大戦を通じて諜報活動などに従った政治的軍人。『城下の人』はその自伝的ノンフィクションの第1部。明治元年に生まれ、32歳でロシアへ留学するまでを描いている。抜粋でつないで見る。 神風連の騒動に続く西南戦争は、熊本城下を広漠たる焦土に変えて終焉した。 日清戦争は、明治29年4月17日には下関で講和条約が調印され、清国は台湾と遼東半島を日本に割譲し、2億テールの賠償金を支払う事になった。ところが遼東半島の割譲については、突如としてロシア、ドイツ、フランスが共同し ...続きを見る |
2006/08/07 18:43 |
金子万平メルマガ「長野暮し」から
金子万平さんからメルマガ「長野暮し」が着いた。 ●万平菜園、水害に遭う 万平さんは、千曲川の河川敷に畑を借りていて、7月19日に増水ですっかり深い水の下に没した。翌日行って見たら、水は1日で引いていた。そのあと、キュウリ、ピーマン、唐辛子、ジャガイモなどの被害の状態を報告している。私は作物を作ることなど思いもおよばぬことなので、とりあえず、ご苦労さん、という言葉しか思い浮かばない。 ●石光真清のこと 私が石光真清『城下の人』を購入したのは、奥付から類推すると、40年以上前のことだが、結 ...続きを見る |
2006/08/04 21:50 |
靖国参拝 昭和天皇の選択
昭和天皇が1988年に、靖国神社の戦犯合祀について、強い不快感を示し、以来、参拝していないなどと語ったとされる当時の宮内庁長官のメモが公表された。 「菊のカーテンをすり抜け、世に出た昭和天皇発言」。誰が企図したか詮索しても始まらないが、タイミングを計る知恵者がこの時点で出してきた情報に思える。 2000年8月にNHK-BSで韓国KBS製作の『太平洋戦争・最後の外務大臣・東郷茂徳』が放送された。放送後、NHKへ再放送の問い合わせをしたところ、1週間後に同じBSで再放送された。「総合」では ...続きを見る |
2006/07/21 21:05 |
『富岡日記』から『散るぞ悲しき』へ
私はこの春、同人誌「層」に『大日本帝国初の民営製糸場ー和田英とその時代』という文章を書いた。和田英と言うと『富岡日記』で、群馬県の富岡製糸場に伝習工女として行き、製糸業を学び、地方に伝える物語と言うのが一般的なイメージである。 私は、日清・日露の両戦争に従軍し、傷ついた帝国陸軍軍人の夫と、和田英の物語をイメージしようと思った。 今度の大宅壮一ノンフィクション賞は『散るぞ悲しきー硫黄島総司令官・栗林忠道』で梯久美子が受賞した。 1999年(平成11年)、長野高校創立100周年記念番『 ...続きを見る |
2006/07/20 16:45 |
「溯行」127号から 「司馬遼太郎とノモンハン」の謎
評論誌「溯行」127号が、6月25日に出来た。 たかはしたみをが『番頭一代』という旅館という世界で見聞きした事柄を書き進めている。 今回は、戸倉温泉にかつてあった山楽荘という旅館の主人だった須見新一郎のことにも触れている。須見氏は「ノモンハン事件」の生き残りであることを、以前たかはし氏から聞いた。 私が半藤一利の『モノンハンの夏』を読んだとき、巻末の参照文献の中に、2点の須見氏関係の本を見た。『実戦寸描ノモンハン』須見新一郎 須見部隊記念会 、『須見新一郎遺稿抄』須見部隊会、の2冊であ ...続きを見る |
2006/06/30 21:31 |
ロミー・シュナイダー主演 映画『離愁』をみる
6月20日夜、善光寺宿坊「玄証院」で、「第1回玄証院シネマサロン」があった。映画ライターの田中英紀さんが企画、玄証院の福島貴和住職が会場を提供した。 上映された映画はフランス映画『離愁』1973年の作品である。主演女優がロミー・シュナイダーだというので、見に行くことにした。過ぎた青春の思い出に惹かれた。 原題は「LE TRAIN」「ル・トラン」、米国でのタイトルは「THE LAST TRAIN」。 第二次大戦中のドイツ占領下フランス。ドイツ軍の侵攻を逃れて、フランスの田舎へ向かう疎開 ...続きを見る |
2006/06/25 12:04 |
「長崎くんち」からわが町の祭り「篠ノ井祇園祭」を思う
先月末、長崎に行ったときグラバー園の出口近くに「長崎伝統芸能館」があり、長崎の祭りの数々の展示があった。いつか祭りを、その場で見たいと思った。 長崎くんちが始まったのは、1634年(寛永11)、以来360年の伝統を誇る、諏訪神社の秋の大祭だとのこと。開催は10月7日から9日(くんち)の3日間。踊り町(出演者)は、「龍踊り」「コッコデショ」など中国や日本、西洋の文化を盛り込んだ国際色豊な踊りをそれぞれ持ち、7年に1度その出番が回ってくるという。したがって、全部を見終えるには7年かかるという計 ...続きを見る |
2006/06/12 20:51 |
林 京子『祭りの場』から
林 京子の『祭りの場』を読んだ。 「突然急降下か急上昇か、大空をかきむしる爆音がした。空襲! 女が叫んだ。物音を聞いたのはそれだけである。文字にすれば原爆投下の一瞬はたったこれだけで終る。ピカもドンもない。秒速360mの爆風も知らない。気づいたら倒壊か家屋の下にいた。」 林 京子の1945年8月9日午前11時02分である。 「踊りの輪には大学生も、混じり40人はいた。無言劇のように物悲しい学徒出陣の踊りー」 (中略) 「 ありがとう---出陣学徒が敬礼する。 また逢おう-- ...続きを見る |
2006/06/11 21:37 |
群馬・史跡探訪 妙義神社と菊の御紋章
妙義神社では、大鳥居から本殿までは急な石段が続き本殿手前の石段では我が脚力の限界を感じたが時間をかけ、とにかく登りきった。 西暦で532年の創建であるが、現在見ることの出来る建物は、江戸時代(1752年)に大改築され、1985年から1989年に4億円の費用をかけて修築がおこなわれたという。 総門・唐門は、国の文化財に指定され、また、柱や壁に彫られた彫刻は、日光東照宮と同じ作者とのこと。 江戸時代は、歴代将軍から厚い崇敬を受けた事が、日光東照宮とのイメージの連続性からも推察される。 ...続きを見る |
2006/06/06 21:59 |
史跡探訪の旅から 奇跡の梵鐘 東京大空襲の後に
6月4日(日)、地域の史跡探訪の会が群馬県 高崎市と安中方面へのバス旅行を企画した。 会が始まってから20年近くになるというが、私には初めて、お声がかかったので、出かけることにした。 高崎市にある長学寺の梵鐘の話。太平洋戦争の戦時中、各寺院の鐘は、「寺院梵鐘応召」と称して、供出させられ、武器弾薬にされた。 ところが、この寺の鐘は、梵鐘の応召壮行会も済み、送り出されたと思うのだが、供出完了の直前に供出を免れた。撞き座は、16弁の菊座だという。直前に係官が、これは貴重な梵鐘に付き、供出を ...続きを見る |
2006/06/05 23:23 |
東松照明 〈11時02分〉 NAGASAKI を読むため長崎へ
5月25日から27日まで、2泊3日で、長崎、福岡方面へ行った。松本空港から福岡空港に行き、電車で長崎に入った。 写真家、東松照明の最初の写真集『〈11時02分〉 NAGASAKI』は1968年に出ているが、今度、実際に長崎に行って、この写真集を見直して見ようと思った。 長崎から帰ってこの写真集を見直している。まず、最初に11時02分で止まっている懐中時計の写真から始まり、続いて原爆中心点で、人間の手とガラスが高熱で溶融し一塊になった写真が続く。それから、要所要所に被爆者の証言が挿入され ...続きを見る |
2006/06/02 00:08 |
5月9日 信州松代、日本初の民営製糸場は?
同人誌「層」に『富岡日記』の和田英のことを書き、先日校正刷りが上がってきた。文章の始まる前にカットが入ると言うので、いろいろ考えた。 『富岡日記』と言うと明治の初め群馬県の富岡製糸場へ行って製糸業を研修してくる記録と捉えがちだが実際には第1部に相当する『明治6・7年松代出身工女富岡入場の略記』と第2部『明治7年7月より12月まで 大日本帝国民間蒸気機械の元祖六工社創立1年の巻・製糸業の記』そして、英の母の躾について書いた『亀代子(きよこ)の躾(しちけ)』が第3部に相当する。これらを通して見 ...続きを見る |
2006/05/09 20:33 |
5月8日 『チャングム』のイ・ヨンエ登場!
今日午後1時からのNHKの番組宣伝番組「スタジオ・パーク」に、韓国ドラマ『宮廷女官チャングムの誓い』の主演女優イ・ヨンエが登場した。レギュラーのスタジオから、NHKホールに会場を移し3,000人の視聴者を集め放送された。 『チャングムの誓い』は、NHK-BSで一昨年2004年10月から全54話が放送され、好評を博し、現在はNNK総合で放送されている。先週の土曜5月6日が前半の最終とも言うべき第27話「偽りの自白」が放送され、後半の復讐譚にロマンを盛り込みクライマックスに向かって進行していく ...続きを見る |
2006/05/08 21:21 |
5月7日 風に吹かれて豆腐屋ジョニー、って言う豆腐。
先日行きつけの居酒屋、「まほろば」へ行ったら、おつまみに「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」というネーミングの豆腐が出た。 「風に吹かれて」は1962年にボブ・ディランが作曲、翌63年ピーター・ポール&マリーが歌いヒットする。プロテスト・ソングとして40年にわたって歌い継がれる。 手許にアリスの「武道館ライブ」のLPが在るが、ジャケットには「Aug・29、30Sep.1 1978」とある。その中に「ジョニーの子守唄」も収録されている。谷村新司、堀内孝雄、矢沢透らアリスの絶頂期である。 「 ...続きを見る |
2006/05/07 20:44 |
日録・5月3日 「チェルノブイリから20年」と「偉大なる旅人・鄭和」
松本市美術館で開かれている、本橋成一写真展ーチェルノブイリ三部作を見に行く。 1986年4月26日に発生した原発事故から今年4月で20年を迎えた。ベラルーシを中心に取材された写真は、静かな中にチェルノブイリ原発事故の実相を映しこんでいた。 帰って、図録を見たら、本橋さんと、松本美術館長の米倉 守が対談していた。その中の、米倉さんの言葉「写真作品と言うのは、暗示力がどこまであるかということですよ。後は受けて側の問題です。この国は請けて側に、一生懸命になった歴史が無いんですね。私も送り手を讃 ...続きを見る |
2006/05/04 10:21 |
戌(いぬ)の大満水景況---1742年 「お江戸でござるは、現代でござる」
通明中学の同級生、渡辺喜代子さんが、本を出した。A4版、380ページの大作である。長野市篠ノ井石川の亡き母の生家(穂苅家)に伝わっていた江戸時代中期の古文書に書き下し文と現代文をつけた『川中島平の昔のはなしー「万傳書覚帳(よろずつたえがきおぼえちょう)』である。 まず、冒頭に「下石川 鹿野五左衛門 殺害につき成敗」という文書が出てくる。享保14年(1729年)五左衛門宅に、押し込み強盗が入る。しかし盗人は五左衛門に切りまくられ皆逃げる。しかし、庭まで追いかけて出た所で、逃げ遅れた盗人に五左 ...続きを見る |
2006/04/24 22:50 |
竹島と1905年
竹島(韓国名・独島)周辺海域で海上保安庁が計画している海洋調査を巡り、日韓の緊張が高まっている。 西牟田靖『僕の見た「大日本帝国」』には《民族意識に訴える「聖地」》の章がある。書き出しは「これから書く話は本当は韓国の話ではない。日本国内を旅した話だ。だがいまそこは日本から行くことは不可能で、韓国からしか行くことが出来ない。 西牟田さんは、高速船にのって「竹島」へ向かう。クルーズの全航程約3時間、「独島」を30分かけて2周して戻ってくる。乗っている800人の韓国人をすべて敵に回したような ...続きを見る |
2006/04/21 18:11 |
男、女そして国---。映画『北の零年』から
一昨年、公民館の身近な地域の史跡探訪で北海道に、私の出身校、篠ノ井の通明小中学校と同名の学校がある事を知りました。 大正6年(1917年)から国は、千曲川の改修工事を行い、それに伴う耕地の減少により、県は、北海道開拓移民を募集します。現在の長野市篠ノ井の横田という地籍から、大正8年(1919年)他村の者も含め26人の開拓団は十勝に移住します。 「狐狸の横行する昼なお暗き蒼々たる原野であった。住宅も掘っ立て小屋で、殆ど皆、川のふちに建てた。土間に草をならべむしろを敷き、囲炉裏は焚火で、カン ...続きを見る |
2006/04/01 00:21 |
マルロオ 『胡桃の木』の思い出
若い頃、どんな本を読んだかを語るのは、なにか気恥ずかしい気がします。私の場合、読んだと言っても、勢いで目を通したに過ぎず読んだというには程遠い感じがするからです。 当時、サルトルやカミュが流行でしたが、私はマルロオに惹かれました。 ヒトラーとスターリンが手を結び、ナチス・ドイツはポーランドへ侵入した頃、「百パーセントの反スターリン主義、この一言につきる」というマルロオの言葉が伝えられています。 ハンガリー動乱の時の新聞、雑誌などで伝えられた「スターリンの亡霊」という言葉が印象に残りま ...続きを見る |
2006/03/31 00:10 |
和田英とその時代---『富岡日記』を読み直す
群馬県富岡市にある「富岡製糸場」、以前から気になっていた場所でしたが、3月8日に行って来ました。 明治6年(1873年)長野県、松代町から横田英たち16人が富岡製糸場へ伝習工女として入場のため出立します。富岡まで5日かかりました。現在は、新幹線で高崎まで、それから上信電鉄に乗り換えて、待ち時間も含めおよそ2時間で着きました。 富岡製糸場は、日本の木造建築と西欧のレンガ造りを取り入れた「木骨レンガ造り」。レンガを地元の瓦職人を動員して苦心の果てに造り上げるなど、フランスの技術を日本の風土 ...続きを見る |
2006/03/24 22:54 |
宮入慶之助記念誌から 「女工哀史の時代」
宮入慶之助は、日本住血吸虫の感染を媒介するものが淡水の貝であることを1913年に発見。その貝は現在ミヤイリガイという和名で呼ばれている。 宮入慶之助記念館は、生地、長野市篠ノ井西寺尾にある。その館から、『住血吸虫症と宮入慶之助ーミヤイリガイ発見から90年』という記念誌を発行したという連絡がきたので、購入してきた。 ここしばらく、和田英の『富岡日記』についての雑文を同人雑誌向けに書いていたので、製糸業がらみの文章が目に入った。清永 孝「慶之助とホタルと左京」。 若き宮入慶之助が衛生行 ...続きを見る |
2006/03/21 22:26 |
海の特攻---里村りえ子『戦後六十年の視点』から
里村さんの個人誌「木もれ日」は年一回発行され最新号は2005年12月31発行の第9号『戦後六十年の視点』で、サブタイトルが〈特攻、徴兵忌避、靖国、加害責任〉である。 A5版56ページの小冊子ではあるが、内容は数百頁に匹敵すると思う。順序立った紹介は難しいので、今回は、「特攻」に限って、私が連想したことを書き留めて置く。 2002年(平成14年)岩井忠正・忠熊兄弟は『特攻』−自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言ーを出版する。実は弟の忠熊氏は、里村さんの大学時代の恩師だった。先生が「特攻」だっ ...続きを見る |
2006/03/05 23:24 |
西牟田 靖『写真で読む僕の見た「大日本帝国」』について
以前、この私のブログで『僕の見た「大日本帝国」』の感想を書いた。その後、著者の西牟田さんからコメントを頂いた。今度、未公開写真を400点を収載した、新たな書き下ろし『写真で読む僕の見た「大日本帝国」』を発刊したとの連絡だった。早速購入して読み始めた。 終戦直後、学校では教科書上の「大日本帝国」に関わる部分を墨で塗りつぶしたという。私は戦後小学校に入学したので、それに関しての直接の体験は無い。 「大日本帝国」は、墨塗り、封印され、影も消されていったのだと思う。今度の「メール問題」も黒く塗 ...続きを見る |
2006/03/02 21:17 |
8月13日長野空襲 黒岩六郎自叙伝からC
昭和20年、戦争が終る直前のお盆8月13日、長野市とその周辺が空襲を受ける。それまで空襲警報は出されたが、実際に弾丸が飛んできたのは、この8月13日が最初で最後だった。 黒岩六郎さんは、日の出航空の仕事で汽車で新潟県の直江津に行く途中、長野駅で空襲に遭遇する。黒岩さんは、とっさに機関車の下にもぐり込み、敵機が去るのを待つ。 この空襲で、長野駅、機関区等に損害がで、被弾して亡くなった人もいた。 「次の一隊が再びやって来て、今度は篠ノ井駅や、篠ノ井女学校周辺に弾を浴びせてきた。万代町の松 ...続きを見る |
2006/03/01 21:22 |
3月10日東京大空襲---黒岩六郎自叙伝からB
昭和20年、戦局はどんどん悪化していくが、日の出航空はますます忙しく業績も向上していく。国民の苦しみと反比例して、軍需産業ほど儲かるものは無いのだ。 黒岩六郎さんは、社長と二人で、部品の仕入れに東京へ出掛ける。一般の人は汽車で出掛けるにはいちいち証明書が必要な時代だったが、軍需工場の仕事ではいくらでも証明書がでた。 しかし、東京へ着いたのは3月10日の東京大空襲の翌日で一帯は、焼け野原になっていた。焼死体が折り重なり、まさに地獄の光景を目撃する。 「戦いとは------自分は闘いのた ...続きを見る |
2006/02/27 22:16 |
ご近所に兵器工場があった---黒岩六郎自叙伝からA
わが家から、歩いて10分位の所に篠ノ井劇場があった。私が現在地に来たのは昭和25年(1950年)小学校3年の頃であるが、その当時は映画館だった。やがて映画が衰退して、家具屋や、スーパーマーケットの仮店舗になったりしていたが、数年前、取り壊されパチンコ屋になってしまった。 しかし、黒岩六郎自叙伝『二十一世紀へ生きる』によれば、60年以上前、戦時中は兵器工場になっていたとのこと。当時の社長もご近所の人だった。「ご近所の底力」は、戦時下においても充分に発揮されていたのだ。 高橋哲哉は『靖国問 ...続きを見る |
2006/02/21 22:27 |
よこすか海軍カレー 靖国神社・遊就館から
2月10日、靖国神社に行き、軍事博物館・遊就館を見た後、売店で「よこすか海軍カレー」というレトルト食品を買ってきた。昔懐かしいカレーの味だった。 「海軍カレー」から、日清・日露戦争の時代「麦飯男爵」と呼ばれた海軍医・高木兼寛のことを思った。かつての軍艦カレーには麦飯が供されたのだろうか? 当時、脚気の原因を巡って、陸軍医・森 鴎外と海軍医・高木兼寛は大論争を展開する森 鴎外は白米食こそ元気の素と主張、一方、高木兼寛は麦飯こそ脚気の治療に有効であると主張する。 陸軍は日清戦争で4万1 ...続きを見る |
2006/02/14 20:47 |
それは零式戦闘機を作る地下工場だった 黒岩六郎自叙伝から@
黒岩六郎さんの自叙伝『二十一世紀へ生きる』の中で特に興味を引かれるのは、終戦前後の軍需工場に関しての経過が具体的に書いてあるところである。 戦争中に黒岩六郎さんの最後の仕事になったのは、日の出航空という中島飛行機の下請け工場を作ったことだと言う。この地上の工場は軌道に乗る。 その後、今の長野市篠ノ井塩崎に、日の出航空の地下工場の建設が計画される。零式戦闘機を作るための地下施設である。 『塩崎村史』による、として、経過が記述されている。 「計画された地下工場は零式戦闘機をつくるため ...続きを見る |
2006/02/07 20:19 |
金婚式は音楽で おめでとう、唐沢淑郎さん・ヨシ子さん夫妻
千曲市稲荷山に「風雅」という喫茶店がある。開店から25年になるという。店主は唐沢淑郎さん。唐沢さんはジャズ・ピアニスト。 1月16日に、唐沢淑郎さん・ヨシ子さん夫妻は、結婚50周年を迎え、「アニバーサリー・パーティー」が開かれた。唐沢さんの音楽の仲間たちおよそ130人が一堂に会した、音楽一杯の素敵な会になった。琴、日本舞踊、シャンソン、フラダンス、ジャズなどが多彩な人たちによって繰り広げられた。 唐沢淑郎さんは、昭和6年、1931年生まれ。不況の世に生を受け、戦乱の中にもの心付いた人た ...続きを見る |
2006/01/20 21:19 |
「平和って何?シンポジウム」から 《戦争神学》について
12月18日、長野市上野の清泉女学院大などで作る実行委員会の主催で、同大学で「第1回 平和って何?シンポジウム」が開かれた。 パネリストは、キリスト教界から、松浦悟郎、島津晃、仏教界からは、松島澄雄のそれぞれ、牧師と住職の皆さんだった。 私は都合により、3人のお話、それぞれ15分位、を聞き途中退席した。後で、当日配られた、パンフレット、チラシとお話しのメモを見返して見た。 まず、印象に残ったのは、2001年9月11日以降、宗教者が、相互理解への努力を始め、連帯して平和や命の尊厳のた ...続きを見る |
2005/12/25 12:02 |
今日の耐震強度偽装問題証人喚問・テレビ中継からの連想
プリーモ・レーヴィの「灰色の領域」について考えていたら、この夏、読んだ加藤典洋の『敗戦後論』の中で論じられていたハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』のことを思い出した。 1960年、元ナチの戦犯がイスラエルの国家機関に捕らえられ、1961年に裁判が開かれる。 ハンナ・アーレントはこの裁判を傍聴し、そのルポルタージュ『イェルサレムのアイヒマン』を出版する。出版後、欧米のユダヤ人社会を中心に大きな議論を呼び、反アーレント・キャンペーンが巻き起こる。 いくつか理由があるが、そ ...続きを見る |
2005/12/14 21:14 |
アウシュヴィッツから続く「灰色の領域」について
プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終らない』を読んだのは、3年前だった。 今度、同じ著者の『溺れるものと救われるもの』を読んだ。 プリーモ・レーヴィは解放から40年後に自殺する。この本は、その死の1年前、1986年に刊行されている。40年の思索が凝集したいわば遺書と言えるかもしれない。だから、容易に要約も出来ないし、感想を書くのも難しい。 テーマの一つが「灰色の領域」である。 アウシュヴィッツという殺人工場を管理運営していたのは普通の人々だった。ここに最大の問題がある。ひとたび ...続きを見る |
2005/12/12 22:57 |
12月8日に、ノモンハンから真珠湾への道を思う
ノモンハン事件の生き残りの赤澤さんと言う人が11月18日に亡くなったと言うことを、ご近所のお茶屋さん、たちばな園茶舗の田中春江さんから聞いたのは、5日あとだった。 赤澤守人さん、長野市篠ノ井塩崎出身、享年87歳だった。私は、その話を聞くまで、赤澤さんの存在を知らなかった。一度でいいからお目にかかってノモンハンの話を聞きたかった。赤澤さんがノモンハンの語り部であり、田中さんはその良き聞き手であったようだ。 しかし、赤澤さんは平成2年に、『戦斗と戦友』というB6版、52ページの小冊子を作っ ...続きを見る |
2005/12/08 18:13 |
パリ、男と女、カルヴァドス---遥かな『凱旋門』から
先月22日の『信州りんご文化誌』の発刊記念の会は、りんごブランデー=カルヴァドスの乾杯で始まった。私はカルヴァドスを知らなかった。 カルヴァドスと言えばレマルクの『凱旋門』と言うのが、ある時代の常識であったらしい。 近所の書店で『凱旋門』を探したが、なかった。新潮文庫は絶版になっていた。結局、「復刊ドットコム」版を購入した。 1976年、今から29年前、マルローが死去した時、身近な仲間約10人を集めて、「アンドレ・マルローを偲ぶ会」を開催した。要するに、酒を飲む口実のための会だったが ...続きを見る |
2005/12/07 23:07 |
カルヴァドスで乾杯!!リンゴ料理を楽しんだ!
市川健夫編著『信州りんご文化誌〜幻の和林檎を追って』発刊記念の会は、一昨日夜、ホテル信濃路で開かれた。 まず、前県立歴史館長・市川さんのお話しから始まった。 りんごには野生種と栽培種があり、野生種にはズミ、エゾノコリンゴがあり、栽培種には、和りんごと西洋りんごがあること、という基本的な話から始まった。 島崎藤村の詩「初恋」にうたわれたりんごは、西洋りんごが入ってくる以前の和りんごであったこと。アメリカから西洋りんごが入って来て、どのように定着して行ったか、そして、いかに信州がりんごの ...続きを見る |
2005/11/24 21:21 |
排水機場と、千曲川に架かる小森の石土手
昨日、地域の公民館主催の、近隣地域の史跡探訪に参加した。 寺や館跡など、数々の史跡を見て回ったが、特に印象に残ったのが、史跡ではなく現用の施設、千曲川に沿って作られた水門に設置された、「小森第一排水機場」である。 その周辺はよく通りかかった事があり、外観は何度も見ていたが、入ったのは初めてだった。 巨大なディーゼルエンジンで動く排水ポンプが3基、設置されていた。 排水能力は毎秒4トン。従って3基では、1秒につき12トンの水を千曲川に送り出すことになる。 千曲川改修工事の完成により、 ...続きを見る |
2005/11/21 21:35 |
フランスの暴動はなぜ?A西欧の深層には---。
ロートレアモンの『マルドロールの歌』。 勤め先に若い頃から熱心に研究している先輩がいたので、その存在は昔から知っていた。 そして、先輩T氏の著書『ロオトレアモン覚書』に目を通し、栗田勇訳『マルドロ−ルの歌』を買ってはきたが、私にとっては終始難解で読み通せなかった。 手許に前川嘉男訳、ロートレアモン伯爵『マルドロールの歌』がある。 カバーの著者プロフィルは、 「ロートレアモン伯爵(1846〜1870)本名イジドール・デュキャッス。南米のウルグァイに生まれ、13歳の時ひとりで父の故郷・フラ ...続きを見る |
2005/11/15 20:58 |
高校同期会からA 100人の自己紹介は
10月29日、飯綱高原で、卒業から45年目の同期会が開かれた。 この会のメインは、2時間半余りの「大懇親会」で、その目玉がこの会恒例の全員の自己紹介。 といっても、リハーサルなしでは、無理。従って、クラス代表あいさつ、後は名前のみの紹介という形もあった。 私は、45秒ほどのコメントを用意はしていたが、現場の雰囲気に合わせて、10秒にショートカットした。 それぞれ、現在の仕事のPRあり、当時の部活動、柔道部や新聞部などの人々のその後など。 恩師2人に同期生95人、100人規模の声のコラー ...続きを見る |
2005/11/13 23:03 |
フランスの暴動はなぜ?
「フランス全土に広がった旧植民地からの移民などによる暴動になかなか歯止めがかからない。すでに各地で車5000台以上が燃やされ、とうとう死者まで出た。」11月9日「毎日新聞・余禄から NHKスペシャル「アフリカ21世紀A」は、2002年2月に放送されたが、その中で、セネガルのスーパースター、ユッスー・ンドゥールが、パリの大観衆を前にして歌っている場面が特に印象に残っている。 《僕らの力を一つにあわせよう 過去に祖先が受けた傷を考えよう みんなで一緒に働くんだ 働き続けるんだ》「ニュ ...続きを見る |
2005/11/09 10:34 |
高校卒業45周年同期会から@亡き友を想う
10月29日、飯綱高原、アゼイリアで、長野高校の卒業45周年の同期会が開かれた。 443人の卒業生のうち、95人の同期生と2人の恩師という盛会だった。 まず、記念撮影。その後、44人を数える物故者の法要が営まれた。 記憶にあるのは数人の人たちであるが、なかでも特に印象に残っているのが、小学校・中学校・高校と一緒だったHの思い出である。 1976年5月、彼は突然の自死を遂げる。 亡くなる数日前、私は彼に会っている。 「オレッて離人症なんだ---。」これが私が聞いた最後の言葉だった。 ...続きを見る |
2005/11/01 22:53 |
オウンゴール 自民圧勝 その歴史的背景は?
今回の選挙の自民圧勝は、野党のオウンゴールによる結果だった。 9月15日の毎日新聞のコラムで、川本祐子が発言している。 《みんなが民主党に対して持っていたイメージは「都市型改革政党」だったが、結局内容はそうではなかった。内部的に(労働組合など)いろいろな勢力をきちんと整理しきれなかったことが郵政民営化反対という意見に出た。そこが敗因だ。》 川本氏は、これからは「改革競争」が政治テーマになって行くとする。 ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』の中に〈昔なじみの「新しさ」〉という節がある ...続きを見る |
2005/09/18 23:46 |
コラム 西川恵の《ハリケーン「カトリーナ」考》から
米国南部を襲ったハリケーン、カトリーナの報道を見ていて、アメリカとは、こんな国だったのかと考えさせられた。アメリカについては、現地に行ったことはなく書物や、その他メディアを介してイメージを作ってきたのであるが。 1999年に出た、マーガレット・バーク=ホワイトの写真集を見直した。そして、あらためて、彼女の写真は、20世紀を見事に写し撮っていることを確認した。 写真週刊誌「ライフ」は1936年に創刊されるが、彼女の写真はその創刊号の表紙に採用されている。 モンタナ州の「フォートベック ...続きを見る |
2005/09/10 18:48 |
太平観音消失!しかし、旧奉安殿は位牌堂として役目を果たした
昨日、消失した太平観音堂の焼け跡に行った。残骸は重機によって片付けられ、旧奉安殿が、平壁のまま残っていた。かつての奉安殿は位牌堂として機能し880柱の英霊の位牌を守ったのである。焼けた屋根を修復すれば、位牌堂は、完全に復元される。 境内にある石碑「太平観音由来記」から抜粋する。 「昭和22年円福寺総代柳沢貞雄翁を太平観音奉賛会会長に戴き、岩野正源寺の本道を譲り受け篠ノ井全町民の浄財寄進により拝殿を建立され、昭和26年秋善光寺大本願大宮智栄上人を詠して入佛供養せらる。」 「今日位牌堂には ...続きを見る |
2005/09/04 02:58 |
太平観音焼失!しかし、不死鳥のように甦るのか?
8月28日午前4時、わが家の近く、長野市篠ノ井御幣川にある太平観音堂が炎に包まれ、木造平屋約160uをほぼ全焼した。現場は、通明小学校のすぐ東側にある宅地。 焼け跡に行ってみると、意外にも白壁の小さな建物が焼け残っていた。現場にいた同堂の関係者に聞くと、それは、かつての通明小学校の奉安殿を移転したものだとのこと。土蔵造りのため火が中に入らず、ほぼ完全な形で燃え残ったのだという。堂内に奉安殿が収納されていたのだ。境内の東郷・乃木両将軍像は無傷だった。 1946年(昭和21年)、「御真影」 ...続きを見る |
2005/08/31 18:39 |
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