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書を捨てよ。街に出よう。---そして
私の友人の所属するMPOのスローガンは「本を読む力を失った者は考える力も失う」という立派なものである。 しかし私は、かつて寺山修司のいった「書を捨てよ!街に出よう。」と言う言葉の方が好きである。 8月21日の信毎に鶴見俊輔さんの『たまたま、この世界に生まれて』という新しい著書の紹介がのっていた。 この本をまとめた意図を鶴見さんは言っている。 「日本のファシズムは、東大卒の(観念にひれ伏す)”亜インテリ”が担った。日本の大学は『土法』をつかむことが出来なかった。戦後日本も、『金を... ...続きを見る |
2007/08/24 20:58 |
藤村文学講座『エトランゼエ』から
今日は、友人Dさんに誘われて小諸市立図書館の藤村文学講座に出かけた。 今回は神田重幸さんの『エトランゼエ(仏蘭西旅行者の群)』を読む---だった。 レジュメの中に、興味深い個所を見つけた。 「多くの旅行者を見るに、外国を旅行するほどの同胞はいずれもよく動いた。私のように下宿も取りかえずに、ずっと一つところに留まっているものは極少なかった。-----唯、私の願いは自分の国を旅行するのと同じ心でありたかった。外国を旅するという特別な心は持ちたくなかった。」(85) 「藤村全集・月報8」に高田... ...続きを見る |
2007/07/21 21:29 |
小樽の人C 田中隆雄
田中隆雄さんは、1968年3月から1970年3月にかけて、以前の私の勤め先の上司だった。 友人に送ってもらった田中隆雄遺稿集の年譜を見る。1922年長野県更級郡稲荷山町の生まれ。1940年小樽高等商業学校入学。1942年東北大入学---。 勤め先での仕事にスキー学校があった。小樽高商時代、ニセコスキー場での武勇伝を何度か聞いた。 遺稿集の冒頭に[昭和15・4 小樽高商入学]、「人生の悲劇」の項に 「人生の悲劇は有限の梯子を以って無限の世界に達せんとすることから生まれる。人の知は有限... ...続きを見る |
2007/06/23 10:45 |
小樽の人B 伊藤整
一昨年、M女史のブログに触発されて、伊藤整の『近代日本人の発想の諸形式』(岩波文庫)を非常に興味深く読んだ。 今度、小樽に行って伊藤整を思い出したのだが、読んだ時の記憶は薄れ、本も行方不明になっていた。ようやく本が見つかったので、再読している。 島崎藤村について書かれた部分にまず興味を引かれた。 「芥川のように論理歪曲を偽善と見る人間はまた日本の社会では生きがたい。そして藤村の行き方は、偽善者たる危険を冒しながらも、その時の日本の社会の家族、親戚という構造に強く織り込まれた人間が、そ... ...続きを見る |
2007/06/21 20:51 |
小樽の人A なかにし礼
旧日本郵船小樽支店は、小樽市重要文化財として保存されている。 完工間もない明治39年(1906)11月にポーツマス条約に基く日露の樺太国境画定会議がこの建物で開かれた。館内には日露の国境の表示の石柱の展示もあった。 昨年、なかにし礼の自伝的要素もあるという小説「赤い月」を読んだ。 「野望を抱いて渡った満洲で手に入れた栄華の極み。しかし、絶頂もつかの間、ソ連軍の侵攻が、一家を逃亡生活へ追い込んだ。---」国家、戦争、家族と愛。 なかにし礼オフィシャルサイトを開くと、なかにしの顔写真と... ...続きを見る |
2007/05/25 11:18 |
憲法九条 平和への闘争〜50年代 改憲・護憲論〜NHKTV5月2日
昨夜のNHK「その時歴史が動いた」は「憲法施行60年特集 憲法九条 平和への闘争〜 1950年代〜改憲・護憲論〜」。 今回のその時は1960(昭和35)年9月7日、池田勇人総理大臣が、新政策発表の会見で「憲法改正はいま考えていない」と発言、までの憲法、13年間の軌跡を追う。 改憲・護憲の最大の山場は1960年の安保闘争だった。私の今までの理解では、改憲問題と結びついていなかった。 岸信介首相がアメリカ駐日大使(マッカーサー大使)との会談の記録を本国政府に送る。 「安保条約を改定... ...続きを見る |
2007/05/03 21:09 |
桐生悠々の「乃木・殉死」評価 ビックス『昭和天皇』から
ハーバート・ビックス『昭和天皇』を読み始めた。 第1章に乃木希典殉死について書いている。明治天皇が崩御して、明治が終わり大正時代が始まる。 殉死という風習は江戸幕府さえ野蛮とみなし禁じていたのであるが、新渡戸稲造、三宅雪嶺ら保守的文化人は、武士の忠誠の模範であるとし称揚する。 朝日新聞は武士道を復活させ、国民を誤らせかねず、感心できないと主張する。 <『信濃毎日新聞』主筆の桐生悠々はさらに一歩進めて、乃木の死を「愚挙」かつ「無意味」と非難したうえ「死ぬるばかりを忠義と心得る」のは... ...続きを見る |
2007/05/01 17:26 |
ハーバート・ビックス『昭和天皇』のこと---昭和の日に
ハーバート・ビックスの『昭和天皇』の原著がでたのは、私の定年前だった。定年後なら時間的余裕も出来るだろうし、原著を買っても何とかなるだろうという見通しで購入してしまった。 HIROHITO AND THE MAKING OF MODERN JAPAN ---見通しは甘かった。 まず、定年後といえども、時間に余裕が出来るわけではない。時間を作るにも才能が必要なのだが、自分にはないことに気がついた。 そうこうするうち2年後には翻訳が出てしまった。その『昭和天皇』も購入したが、5年経過した... ...続きを見る |
2007/04/29 23:31 |
堀辰雄『風たちぬ』から江藤淳『昭和の文人』---昭和の日に
高校に入って初めて読んだ小説が堀辰雄の『燃ゆる頬』、『麦藁帽子』などの作品だった。今から50年前である。 昨日から『風立ちぬ』の書き出し部分を声を出して読んでいる。これが意外と難しい。とても作品の雰囲気が私の朗読では再現できそうにない。 「----- 風立ちぬ、 いざ生きめやも。 ...続きを見る |
2007/04/29 17:42 |
芥川龍之介「杜子春」を「朗読まつり」で読んだが---。
ここのところ、ブログ更新が停滞した。基本は日記だから書こうと思って、その日に完結しないと、雲散霧消してしまう。 10日程遡るが、4月14日に長野生涯学習センターで開催された第2回朗読まつりに、昨年に引き続き参加した。 今年の参加者は11グループ、約70人、観衆は百数十人ぐらいだったと思う。 私たちのグループは、信濃の民話からや、詩「千の風になって」や芥川龍之介の「杜子春」をやった。 我々の「杜子春」の班は、あらすじをナレーションにし、結びの10分ほどを5人で分担して読んだ。私の分... ...続きを見る |
2007/04/25 21:27 |
メタボリズム(代謝建築)のその後は?
手許に、菊竹清訓の『代謝建築論ーか・かた・かたち』がある。昭和44年・1969年発行だから、38年前の本である。 菊竹清訓は、黒川紀章らとともに建築と都市の新陳代謝を図ろうとするメタボリズムを提唱した。 考え方のベースには、サブタイトル「か・かた・かたち」に見られるように、武谷三男の技術三段階論がある。技術を「現象論的段階」「実体論的段階」「本質論的段階」と三段階をおって視て行く。 メタボリズムと言うのは生物学的用語であり、新陳代謝という意味であり、建築、都市を生成発展する過程で捉... ...続きを見る |
2007/04/04 20:52 |
堀越久甫「碓氷峠に関所を設けよ!」から30年
鮫島久男さんが”私財をなげうって”季刊誌「地域と創造」を1977年の創刊号から3年間継続したが、その創刊号に堀越さんは「論争シリーズ1 碓氷峠に関所を設けよ!」を書いている。 「今は、刺激を制限し成熟をはかるとき」というのが主旨であった。 堀越さんは、戦後の30数年間、日本中の農村を訪ね歩き、日本中の農村地帯で知らないところはないと、自ら言っている。『村の中で村を考える』(NHKブックス)のまえがきに、友人の言葉として「ムラに暮して内側からムラをみることのできる人は文章が書けない。文章... ...続きを見る |
2007/02/14 16:10 |
『沈黙の春』から『不都合な真実』 堀越久甫さんの思い出
2月3日、農業評論家、堀越久甫さんが亡くなった。訃報欄によるとお住まいは長野市豊野町、88歳とある。 堀越さんは、東京で雑誌の編集の仕事をした後、昭和46年(1971年)に故郷のムラ、豊野に帰ってくる。 私が初めて堀越さんの文章に接したのは、信毎夕刊のコラムだった。産業社会の進展によって農耕文化が崩壊、ムラも変る、という主旨だったと思う。 その主旨は、当時私が読んでいた江藤淳の長編評論『成熟と喪失』の庄野潤三『夕べの雲』について書かれた部分を連想させた。文芸批評の最前線と、農業評論... ...続きを見る |
2007/02/13 21:23 |
一代三十年、硫黄島の二代六十年
先月、長野ペンクラブの同人誌「層」105号が出た。そこに<ちりあくた>と言う人がエッセイを書いているが、その中の「一代三十年」という項に共感した。二代なら六十年になる。 昨年8月NHKスペシャル『硫黄島玉砕戦 61年目の証言』が放送された。60年以上も取材できなかったのはなぜか考えたがよく分からなかった。 秋草鶴次『十七歳の硫黄島』も61年目の初公開である。理由は、父母には見せたくなかった、両親が存命中は公表出来なかったのだ。 大宅壮一賞の梯久美子『散るぞ悲しき』も、硫黄島から2世... ...続きを見る |
2007/02/04 13:58 |
沖縄の旅から---硫黄島に穿たれた洞窟と沖縄のガマはつながっていた
1月18日から2泊3日で沖縄へ行ってきた。1日目---美ら海水族館 2日目---万座毛---琉球村---ひめゆりの塔---平和祈念公園---糸数壕(アブラチガマ) 3日目---守礼の門・首里城---瑞泉泡盛工場---海軍壕---という旅程だった。 1972年5月、今は亡き友人、飯島一彦が「これから沖縄へ行く。パスポートを使って沖縄入りし、帰りはパスポート無しで帰ってくる」と言った。 1972年(昭和47年)5月25日、27年にわたるアメリカの支配が終り、沖縄は日本に返還される。飯島一彦... ...続きを見る |
2007/01/23 20:54 |
田村喜子『京都インクライン物語』から 世界技術史の奇跡の時代
田村喜子の『京都フランス物語』の後、引き続き『京都インクライン物語』を読んだ。時代は、同じく明治維新後、遷都後の京都、人口は激減し、沈滞の極みにあった。 そこで進められたのが、琵琶湖から京都へ水を引く琵琶湖疏水の計画だった。琵琶湖の水を途中の山にトンネルを穿って京都へ導き、水路に船を通し貨物輸送し、落差を利用し産業用の動力を獲得、同時に飲料水と農業用の灌漑用水を得るという多目的水路を作る疏水計画だった。 この事業の立役者は二人、練達の地方行政官、北垣国道知事と若年の土木技師、田辺朔郎だ... ...続きを見る |
2007/01/13 21:14 |
藤田嗣治は戦争を描くことで戦争を超えた
『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』を始めて最初から最後までカラー図版、解説と資料に目を通した。 私が藤田嗣治に関心を持ったのは、1999年8月に放送されたNHKスペシャル『空白の自伝・藤田嗣治』を見て以来である。 その後、2002年にこの番組の製作者近藤史人の評伝『藤田嗣治「異邦人」の生涯』と同時に、画集も刊行されたのだけれど、「評伝」を読み終えて藤田を分かったつもりになってしまい、画集を丁寧に見ることは後回しになった。 『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』には、戦争画は6点収載され... ...続きを見る |
2007/01/09 22:12 |
『風林火山』から14年前のNHK大河ドラマ『琉球の風』を振り返る
昨夜NHK大河ドラマ『風林火山』第1回を見た。これから毎日曜、数十回の放送が続くが、私はどれだけ見られるだろう。書物と往還しながら見て行こうと思う。 今まで見たNHK大河を振り返った見ると、まず1960年代『竜馬がゆく』、70年代『黄金の日々』、80年代はなくて、90年代は、オンエアは殆ど見ないで、手許には全3巻の原作が残っている。 陳 舜臣の『琉球の風』である。「ウィッキペディア」で見ると、1993年1月10日から6月13日まで放送された第31作のNHK大河ドラマ、とある。 原作... ...続きを見る |
2007/01/08 22:02 |
NHK大河ドラマ『天と地と』から『風林火山』まで
明日からNHK大河ドラマ『風林火山』が始まる。ここ川中島合戦の地元では何かと話題になっている。私は、ここ数年、このドラマを殆ど見ていないが、今度は、珍しく早めに原作を読み、これから時々は覗いて見ようと思っている。 海音寺潮五郎の『天と地と』を原作とするNHK大河が放送されたのは1969年、今から38年前と言うことになる。 『キムの十字架』で有名な和田登が『恐竜公園たんじょう物語〜情熱とロマンの人・小島武彦』を書いている。長野市の観光課に籍を置いた小島さんが、長野市篠ノ井茶臼山の恐竜公園... ...続きを見る |
2007/01/06 16:55 |
クリント・イーストウッド『父親たちの星条旗』から
昨日、クリント・イーストウッドの「硫黄島」2部作の内の『父親たちの星条旗』を見た。 1945年アメリカ軍は硫黄島に上陸し、短期間のうちに擂鉢山の頂上に星条旗を立てる。原作のタイトルでもある『硫黄島の星条旗』である。 秋草鶴次『十七歳の硫黄島』第4章は「擂鉢山の日章旗」だが、その要約は、 <伝説となった擂鉢山頂上の星条旗掲揚---。 しかし、二度にわたって日章旗が取って代わった事実はあまり知られていない。 その後、白兵戦を交えた地上での殺戮戦が激化し、一進一退の攻防戦が展開された... ...続きを見る |
2007/01/04 22:06 |
秋草鶴次『十七歳の硫黄島』から
昨年の夏NHKスペシャルで「硫黄島玉砕戦---生還者61年目の証言」が放送され、当店ブログに私も感想を書いた。 その番組にも登場した、秋草さんの『十七歳の硫黄島』が出版された。秋草鶴次、1927年、群馬県生まれ。志願兵として玉砕の地・硫黄島で戦い、傷つき、壕の中で生き延びること約三ヶ月。生還後、硫黄島体験を精緻に記録する。父母が亡くなった後、61年目に初めて公開する。 巻末の「謝辞」から引用する。 <死を覚悟して敵前に身をさらし、爆弾や鉄砲弾による直撃弾などで戦死する者の多くは「天皇... ...続きを見る |
2007/01/03 23:30 |
クリント・イーストウッド監督の映画『硫黄島からの手紙』を見た
1945年2月19日、アメリカ軍の上陸とともに始まった硫黄島をめぐる攻防は、5日で終るというアメリカ側の予測に反して36日におよぶ長期戦になり玉砕戦として終結する。 映画を見た最初の印象は、この映画は、アメリカ人の作ったアメリカ映画だということ。アメリカという鏡に写って日本の姿が、浮き出してくる。 キーワードは、天皇と天皇制、そして忠君愛国である。そして、現在の日本の情況にそれは違和感無く受け入れられていくことが不思議で、そして悲しい。 「文芸春秋」2007・1号で、硫黄島・総指揮... ...続きを見る |
2007/01/02 21:31 |
田村喜子『京都フランス物語』から 日仏文化協会の創立まで
田村喜子『京都フランス物語』を読んだ。1984年、今から23年前に出版された。 1868年 鳥羽・伏見の戦 五箇条の御誓文 明治に改元 東京に遷都 遷都後の、疲弊した京都の起死回生を願って、時の為政者は、古都を近代産業都市に再生を目指す。フランスへの留学生派遣がその政策の一事業だった。巨額を投じこの事業を遂行する。 20歳にも満たない若者たちが、それぞれ使命感に燃えてフランスに赴く。染色、、織物、陶芸などの技術の習得のためである。 この本では、8人の選ばれた若者たちが、京都か... ...続きを見る |
2007/01/01 22:15 |
田辺聖子『おせい&カモカの昭和愛惜』から
田辺聖子の文春新書『おせい&カモカの昭和愛惜』を読んでいる。この本はNHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」の原案にもなっている。 まず始めは「おせいの昭和館」は『川柳でんでん太鼓』のから引用している。 「昭和史の中ほどにある血糊」(花巻 小田島花浪) 今、話題の映画『硫黄島からの手紙』。硫黄島総司令官・栗林忠道の出身地は長野市の松代西条、硫黄島の戦闘の当時、ここでは大本営地下壕の工事が進行していた。昭和史の中ほどの血糊は度はずれている。田辺さんは「血に染んだ昭和史は白くならない。」... ...続きを見る |
2006/12/29 18:00 |
日垣隆『「松代大本営」の真実』 12年目の再読
山根昌子『遙かなる旅』の読後に、以前読んだ日垣隆『「松代大本営」の真実』を読み返している。「序章 遭遇---遺志を継ぐ---」でこの本は山根昌子の遺志を継ぎ日垣隆が執筆したことが分かる。 1986年8月に『遙かなる旅』が銀河書房から出版されるが、当時この本には帯がついていたという。「松代大本営工事に従事させられた朝鮮人を父にもったひとりの女性 いわれなき差別とたたかいながら 北朝鮮に住む家族との再会を求めて海峡を越えてゆく」、と日垣隆は書いた。 19歳の春、山根昌子は家族と合流し北朝鮮... ...続きを見る |
2006/12/24 14:57 |
山根昌子『遙かなる旅』 20年後の感想
山根昌子『遙かなる旅〜戦後史の谷間かから』を読んでいる。この本は、一昨年、長野市南部図書館のリサイクル本として手に入れた。リサイクル本と言うのは、除籍された本である。 破損した本や、古い本は除籍され処分される。この本は1986年・昭和61年の発行だから20年前と言うことになる。私にとっては手許にあって都合がいいが、公には残念である。 山根昌子は1944年・昭和19年、5歳で、松代大本営工事に徴用された朝鮮の父と、母と一緒に松代に来て、苦しい幼少期、少女期を過ごす。 看護学校を目指す... ...続きを見る |
2006/12/22 15:04 |
上条宏之監修『信州の近代遺産』から
『信州の近代遺産』は、信州各地の1955年頃までの近現代遺産179をカラー写真と説明コメントで構成されている。ほうずき書房刊。 この本には文化財指定に登録されたものは少ない。原形を一部しか残していないものでも歴史の証人にふさわしいものは収録すると言うのが編集方針である。 まず第一番目は長野市松代にある「西条製糸場跡」。跡地を示す標識と説明の看板がなければ分からない。工場跡は、水路と、石垣にわずかに痕跡が残っているのみ。 和田英『富岡日記』の第2部にあたる「明治7年7月より12月まで... ...続きを見る |
2006/12/18 21:18 |
八田千鶴自伝『夢自在 旧松代藩御用商人 八田家に吹いた風』から
八田千鶴自伝『夢自在 旧松代藩御用商人 八田家に吹いた風』聞き書き石川利江 信毎発行、を見ている。 19歳で旧松代藩御用商人の旧家に嫁いでから、『婦人之友』をかたわらに、夢を実現させてきたきた一人の女性。時代のうねりを肌で感じながら、いまなお衰えぬ88歳の情熱---。」<帯の言葉> 昭和20年8月13日、松代の空襲に見舞われる。八田家は近くに落ちた爆弾の余波を受けて、玄関や窓のガラスなどが被害を受ける。 終戦後の9月17日、松代大本営の建設に携わっていた軍人に「天皇陛下の御座所」に... ...続きを見る |
2006/12/18 00:28 |
漱石『我輩は猫である』 いじめ、自殺について
『我輩は猫である』、最終11回が面白い。迷亭・寒月・東風等すべてのメンバーが苦紗弥先生宅に集まる。 「---ただたいていの者は知恵が足りないから自然のままに放擲しておくうちに、世間がいじめ殺してくれる。しかしひと癖あるものは世間からなしくずしにいじめ殺されて満足するものではない。必ずや死に方について種々考究の結果、斬新な名案を提出するに違いない。---」 「漱石の文学が現代に生きている一つの理由は、---過去の感受性と倫理観を保持しながら、漱石は「近代」の裏側にまで突き抜けている。」新潮... ...続きを見る |
2006/12/14 23:37 |
漱石『明暗』と水村美苗『続明暗』 74年の歳月について
かつて、ある週刊誌に「いつか読む本」という企画があった。まだ読んでないが、いつか読もうと思っている本について、それぞれの人たちが書いていくと言うのが主旨だった。 私にとって「いつか読む本」が夏目漱石の作品群だった。いつか読もうと思っているうちに50年、半世紀が過ぎてしまった。 ここに来てようやく漱石を読む段取りがついた。まず、『明暗』から取り掛かった。 「勤め先の社長の仲立ちで現在の妻お延と結婚し、平凡な毎日を送る津田には、お延と知り合う前に将来を誓い合った清子という女性がいた。ある... ...続きを見る |
2006/12/14 22:40 |
スコータイ、アユタヤ、バンコク、川を下る港市国家・タイ
バンコクから帰ってから、弘末雅士の『東南アジアの建国神話』を読んだ。 そこで、印象に残った言葉が「港市国家」、「コウシコッカ」と読むらしいが、東南アジア史研究によく使われるという。 東南アジアの前近代国家は、多くが王都に交易港を有した。交易港を不可分の構成要素としてもつ国家を「港市国家」と呼ぶと言うのだ。 タイの場合は年代の古い順から、13世紀中ごろからのタイ最初の国家スコータイ、17世紀に全盛期を迎えたアユタヤ、そして、18世紀末、タイの首都として創設されたバンコク。大河、チャオプ... ...続きを見る |
2006/11/17 17:06 |
「やらせ」と「情報操作」は果てしなく
野沢尚が『破線のマリス』で江戸川乱歩賞を受賞したのは、1997年、今から9年前である。 「破線」はテレビの走査線で、つまりテレビのこと「マリス」は英語で悪意の意味。<テレビの悪意>、テレビでのヤラセがテーマである。 この本を読んだ後、野沢尚が巻末に挙げている<主要参考文献>のうち9点の単行本を注文し、全部読んだ。 特に印象に残っているのが、音響技術者、木村哲人の『テレビは真実を報道したか ヤラセの映像論』とレイ・ブラッドベリの『華氏四五一度』だった。 映像に関しては、エイゼンシュ... ...続きを見る |
2006/11/13 00:08 |
タイの旅から アユタヤの山田長政
11月3日は、バンコクから車で約1時間半のアユタヤへいった。 アユタヤは1991年に世界遺産に登録された。14世紀の半ばから1767年、ビルマ軍に滅ぼされるまで、400年以上にわたってインドシナ半島の中心都市として栄えた。ほとんどの建物ははビルマ軍によって破壊され、往時を偲ぶことは出来ないが、頭のない仏像や建物の部分が歴史公園として保存されている。 タイに来る前に、タイ国立芸術大学で客委員講師もしていたという、語り部、瓜生喬の『灼熱の陽 アユタヤに落ちて 異聞・山田長政』を読んだ。本来声... ...続きを見る |
2006/11/09 17:46 |
タイの旅から バンコク、王宮周辺
王宮周辺は、王宮と王宮の守護寺院であるエメラルド寺院を中心に多くの寺院や仏塔が集中する地域。 王宮は、現ラッタナーコシン王朝を開いたラーマ1世が造った。国王は現在は住まわれておらず王室行事の際だけ使用されている。 タイから帰って、ユル・ブリンナー、デボラ・カー主演の映画『王様と私』を見た。原作は、アンナ・レイノウェンズの日記『シャム王宮の英人女家庭教師』を基にマガレット・ランドンが書いた小説『アンナとシャムの王様』。時代は1860年代、王様はラーマ4世。血統は現在まで続き現在のプミポン... ...続きを見る |
2006/11/08 22:01 |
タイの旅から アンドレ・マルローとジム・トンプソン
11月1日から、五日間、長野日仏協会の旅サロンの企画で、タイ、バンコクへ行ってきた。 成田10時55分発、バンコクへ15時55分に着いた。 宿泊は、ガイドブックに最高級ホテルにランクされているオリエンタルバンコク、西欧との交流が進んだ19世紀末にオープン。一時期タイのシルク王ジム・トンプソンも経営に関与したと言う。それと、三島由紀夫の最後の小説『豊饒の海』全4巻の3冊目『暁の寺』にもオリエンタルバンコクは登場する。 行動する作家であり、シャルル・ドゴール政権下で情報相、文化相を歴任し... ...続きを見る |
2006/11/07 22:31 |
履修不足と合理的選択制度論
今日10月28日付の毎日新聞によると、高校での履修単位不足問題で、教育委員会に提出する教育課程表と実際の履修が異なる「虚偽報告」を行なっていた高校数が10県・1指定都市の68校に上ることが27日、文部科学省のまとめで分かったという。 長野県教委の山口利幸教育長は、世界史などで履修不足が発覚した長野高で今年9月まで校長を務めていたが、27日の会見で、05年の赴任当初から問題を把握していたことを認め「生徒に近現代史を教える必要があると思いながらも、生徒の志望情況を考えると(未履修も)仕方ないと... ...続きを見る |
2006/10/28 21:59 |
タイの姫君、山田長政と三島由紀夫「暁の寺」
1976年に出た瓜生喬『花鳥風月 そして雪』を読んだ。10年前、長野にある龍鳳書房から出版された。この本のフルネームは『瓜生喬名作セレクト 花鳥風月そして雪 語りべ瓜生喬の世界』である。 いま私はカルチャー教室で「朗読・ナレーション」を受講しているが、声を出して読む本を探してみた。 最初に載っている作品は『灼熱の陽アユタヤに落ちて 異聞・山田長政』である。 少年時代、偉人伝の中の1冊に「山田長政」を見かけたが、今まで、その物語を知らずに来てしまった。 山田長政は、17世紀初頭、慶... ...続きを見る |
2006/10/16 21:21 |
映画『ホテル・ルワンダ』Aフィクションが現実になる時
ジャーナリスト藤原章生は『絵はがきになった少年』の最終章で、大虐殺に加わったとされるフツの人々をキガリ刑務所に訪ねる。 アガサ・クリスティーのフランス語訳を読んでいた元大学教授の言葉、「ツチとフツの違い?そりゃ神様だけが知っている謎ですよ」 なぜツチとフツは殺しあうのかという問いに対して、「殺し合い。それは風のようにやってくる。雪のようには来ない」という、どう理解したらいいのか分からないうちにこの本は終ってしまう。 現地、ルワンダの今日、ただ今の現実だと思う。それに対して、私はコメ... ...続きを見る |
2006/10/12 21:26 |
「禁酒の愉しみ」始めました。
雑誌「文学界」10月号の巻頭に中野翠が、エセー「さよなら〈狐〉」を書いている。〈狐〉山村修さんの筆名で、「文学界」に〈狐〉名義、今年7月なくなるまで連載書評を書いていたと言う。 長野ペンクラブの例会は春と秋、「文学界」4月号、10月号をテキストにする、その付き合いで購入した。〈狐〉は一度も見ていない。 山村修の本を1冊だけ読んでいる。「禁煙の愉しみ」である。この本を読んで、私は禁煙した。それから6年になる。 南方熊楠と西田幾多郎の禁煙日記が印象に残っている。 〈熊楠は学問に「決死... ...続きを見る |
2006/10/07 22:23 |
もしも沖縄に本土と同時に日本国憲法があったなら?
沖縄返還は1972年5月15日なのだけれど、今は亡き友人、飯島一彦は、放送の取材に、返還前にパスポートを使って沖縄入りし、帰りはパスポートを使わず帰って来るといっていた。帰国後、土産話を聞いた覚えもないし、多分、ラジオかテレビで番組をオンエアしたハズなのだけれども記憶にない。当時の私には、その程度の関心しか無かった。 愛敬健二は『改憲問題』で、〈「押しつけ憲法」の盲点〉として、日本国憲法と沖縄の問題を論じている。 〈沖縄にも日本国憲法が「押しつけ」られたらなら、沖縄の戦後史はこれほど苦境... ...続きを見る |
2006/10/05 14:52 |
200年と、60年と 憲法のアメリカと日本
「松代大本営地下壕に、来年度初めのオープンを目指し、待望の駐車場が出来る」と言う記事が、長野市民新聞9月21号に載っていた。 松代地下壕は、太平洋戦争の末期、軍部が本土決戦最後の拠点として、極秘のうちに、大本営、政府各省庁を移すという計画の下に計画された。大日本帝国の負の遺産である。 当初、この地下壕の保存を巡って、地域住民の反対、行政の無視・無関心を装う時間が長く続いた。しかし、多くの人々、その中には篠ノ井俊英高校の生徒達の長い間の粘り強い運動もあった。 先日、バイクで地下壕の入... ...続きを見る |
2006/10/04 20:52 |
森獏郎『オラホの憲法9条』から愛敬浩二『改憲問題』へ
森獏郎『オラホの憲法』は、昨年2005年5月3日に長野にある川辺書林から発行された。 板画家、森獏郎が憲法9条を信州杏の里(千曲市の森地区)の言葉で書き、それを板画で彫ったもの。書き出しは「この国のとりきめひとつ 戦争はやらね。」、囲炉裏を囲む親子4人の板画から始まる。主な作品の一つに『一茶さん』があるが、一茶とその時代と同じイメージの板画が並ぶ。出た時は、なかなか面白い企画だと思ったが、気楽に眺めていた。愛敬浩ニが、解説を書いていたが、そこもスラスラと読み飛ばしてしまった。牧歌的イメージに... ...続きを見る |
2006/10/03 21:49 |
飲酒運転・同乗者の立場
今から、40年ほど前の1月元旦、勤め先では、恒例の新年祝賀会があった。新年のお祝いの祝杯を挙げ、しばし談笑。 その後、家から十数キロの私は、遠方と言うことで、A氏にクルマで送ってもらうことになった。快晴の元旦、絶好のドライブ日和であった。 「どうです、私、運転上手いでしょう!」とA氏。「ええ、マア---」と私。 じつは、クルマは、緩やかな正弦曲線を繰り返していた、つまり蛇行運転である。先輩A氏には、本当のことは言えなかった。同乗者もほろ酔い、無力である。 結局、何事もなく、無事に... ...続きを見る |
2006/09/29 20:43 |
飲酒運転を止める方法?キーワードは「共依存」
福岡の3児死亡飲酒事故から1ヶ月経過したが、未だに飲酒運転は止まらない。 「歴史的に見ればあのフランス革命は飲酒の機会の民主化でもあった。」アルコール依存症は資本主義の成立とともに発生する。それ以前は、圧倒的な量の不足、供給の不足が摂取量の抑制になっていたが、産業革命により、アルコールの大量生産も可能になった。また、当時の労働は過酷そのもので、労働が厳しくなればなるほど高濃度のアルコールの摂取量は増えていく。「このようにアルコール問題は産業革命の勃興発展とともに深刻化していった。アルコール依... ...続きを見る |
2006/09/28 21:29 |
「下士官の力」---フルシチョフの場合
昨日の日記に「人間魚雷・回天」を発想し、造り上げた下士官のことを書いたのだけれど、ここで、吉本隆明の『丸山真男論』の中の一節を思い出した。 「スターリン主義を、スターリンに対する個人崇拝と、スターリンの性格的欠陥にすりかえたのは、フルシチョフをもって嚆矢とするが、スターリン時代に、ソ共の実質的権力を持っていたのはフルシチョフのような下士官クラスだったとおもう。そして、理論と思想は下士官クラスの責任回避のために、スターリン個人にシンボル化された。」 情況は、まるで違うのだけれども、下士官... ...続きを見る |
2006/09/27 22:52 |
リサイクル兵器・人間魚雷「回天」
映画『出口のない海』の広告をみて、わが家にあった1冊の本を思い出した。1985年、山口放送はテレビ番組『死者たちの遺言ー回天に散った学徒兵の記録』を製作。それをディレクター磯野恭子がまとめ青春出版から出した。 「回天」は太平洋戦争期に開発され、元来、巡洋艦から発射されるべき魚雷を改装したものだった。 原型となった九三魚雷は、日本海軍が開発した優秀兵器の一つであったが、米軍がレーダー戦を研究し、航空機による爆撃に主力を切り替えると、九三魚雷の威力は失せ、軍港の倉庫に何百基と眠っていた。 ... ...続きを見る |
2006/09/26 22:15 |
テロ、戦争---無知、無関心がすべての根源
板門店、共同警備区域内の売店には、魔よけのアクセサリーとか、菓子類とか様々なものが売っていたが、結局『板門店〜韓国民族分断の現場』という冊子を買ってきた。 その中の「歴史的背景」の章に、1950年1月、米国務長官アチソンは、全国新聞記者クラブの演説で「アリューシャン列島から日本を経てフィリピンにいたる防衛線から韓国は除かれている」ことを明らかにする。北側への、侵略0Kのゴーサインである。 ドン・オバードーファーの『二つのコリア』には、それより遡ること5年「1945年に当時の国務長官エド... ...続きを見る |
2006/09/11 09:16 |
ソウルから帰って読んだ『白磁の人』〜浅川巧の生涯
いつか読もうと思っていた本の1冊が江宮隆之の『白磁の人』だった。大正3年に朝鮮に渡り、日本の植民地時代に、朝鮮の人々と共に、朝鮮の陶磁器や木工品など民芸品の中に朝鮮民族文化の美を見出し、それを広く紹介した浅川巧の生涯を描いた小説である。 印象に残った一点だけを記しておく。浅川巧の最初の著書は『朝鮮の膳』だった。その結びの言葉。「疲れた朝鮮は、他人の真似をするより、持っている大事なものを失わなかったなら、やがて自信のつく日も来るであろう。このことはまた工芸の道ばかりではない。」 事前に、... ...続きを見る |
2006/09/10 21:56 |
朝鮮戦争 日本掃海隊 靖国合祀拒否
板門店の共同警備区域JSAには、朝鮮戦争に参戦した16ヶ国の国旗が掲揚されている。当然のことながら日本の国旗はない。 数年前、児島 襄の『朝鮮戦争』を読んでいたら、日本が朝鮮戦争に参加していたことが書いてあった。角川文庫版で10ページにわたり日本掃海隊の出動から、帰還までが記述されている。昭和50年、サンフランシスコ講和条約調印以前の段階である。 米極東軍司令部は、磁気機雷処理を得意とする日本掃海隊に注目、海上保安庁に出動を要請。海上保安庁長官は、首相吉田茂に裁断を求める。 元山上... ...続きを見る |
2006/09/10 17:24 |
韓国・板門店・『JSA』観光
9月5日から3日間、韓国・ソウルに行き、南大門市場見物、翌日はバスで板門店に向かい、非武装地帯DZMに沿って、共同警備区域JSAに行った。 JSAとは共同警備区域Joint Security Areaの略号。朝鮮戦争は1953年に一応の休戦を迎えるが、南北朝鮮のいずれにも帰属しない中立地帯として、板門店に設定された空間。 映画『JSA』はイ・ビョンホン、イ・ヨンエらの出演で数年前、大ヒットした。 ドン・オーバードーファーの『二つにコリア 国際政治の中の朝鮮半島』は、「第1章 野鳥囀... ...続きを見る |
2006/09/09 18:17 |
小林英夫『満州と自民党』(新潮新書)から
友人、飯島一彦は1983年に亡くなったが、生前出版した唯一の著書の筆者紹介の項に「1940年・関東州大連市に生まれる」とある。彼が「大連」にどのような思い入れがあったのかは、解らない。 小林英夫の『満州と自民党』を読んだ。この本の印象の断片を記しておく。 現代の我々は、近代文明は太平洋を渡って東から来たというイメージをもっている。しかし当時の資料で調べると、東京から満州経由では、パリまで約半月でいけた。しかし、やはり東京からシンガポールを経てインド洋経由で行くと、約3ヶ月、経費も3倍か... ...続きを見る |
2006/09/02 20:26 |
来年「NHK大河」、『風林火山』を読んだ
会社勤めをしている間だは、なぜか忙しく、振り返ってみれば何をしていたのか判然としないが、郷土の歴史については、老後ゆっくり読もうと思っていた。気がつけば、老人の自覚もないままに「老後」という時期に入っていた。昨年、海音寺潮五郎の上杉謙信を主人公とする『天と地と』を読んだが、「NHKの大河」の放送が1969年(昭和44年)と言うから、三十数年遅れと言うことになる。 昨日、来年の「NHK大河」の原作と言う、井上靖の『風林火山』を読んだ。井上靖の作品も初めてである。 「自ら謀殺した諏訪頼重の... ...続きを見る |
2006/08/29 00:13 |
田中康夫と江藤淳
田中康夫の、最新刊は『日本を MINIMA JAPONIA』なのだけれども、通読してみて、巻頭から、江藤淳で始まり、結びも江藤淳で終っていることに気づく。 序章の書き出しは文芸賞受賞の『なんとなく、クリスタル』から始まるが、文芸賞の選考委員の中心に江藤淳がいて、江藤淳に評価されたエピソードが書いてある。 それと江藤淳の「フォニー論争」について。フォニー=とは、偽者、インチキのこと。かつて江藤淳は様々な場面で、この論争を展開する。 「田中君。それがフォニーかどうかかぎ分けられるように... ...続きを見る |
2006/08/24 18:27 |
田中康夫も田中秀征も「小日本」を目指すが---。
数日前、ガラス張りの知事室を見に長野県庁に行った。気のせいか受付の女性もコンシェルジェの男性も喜びを隠しきれない雰囲気だった。「戻れるんだ!あの日に---。」という気持ちか?。残念ながら確かめたわけではない。 長野県知事、田中康夫の最新刊は『日本を』だが、その中で時に印象に残っているのが「公=パプリック」についての考え方である。 田中氏は「官から民」というスローガンに違和感を感じてきたと言う。本当は「官から民」でなく「官から公」、「民から公」こそが大切ではないかと言う。 行政機関... ...続きを見る |
2006/08/23 18:26 |
田中康夫『日本を 』は田中康夫の総集編!
6月24日、毎日新聞の広告を見て、田中康夫『日本を ミニマ・ヤポニア』を買ってきた。私の記憶では、信毎には掲載されなかったと思う。今更調べる気もないが。 書き出しが1981年の文芸賞受賞の『なんとなく、クリスタル』からだった。当時読んだがそれほど感心しなかった。本人の解説によって、「豊な戦後」生きる”青春の光りと陰に込められた様々な意味が初めて分かった。 田中康夫が県知事に立候補してから『神戸震災日記』をよみ感動した。そのあと『ぺろぐり日記』や浅田彰との対談シリーズ『憂国放談』などを面... ...続きを見る |
2006/08/11 10:41 |
『富岡日記』と『城下の人』から大日本帝国が見える
筑摩書房から現代日本思想体系4として、吉本隆明編集・解説の「ナショナリズム」が出版されたのは1964年である。42年前もことである。以来、吉本隆明の解説『日本のナショナリズム』を読んできた。 当時、無学にして無知蒙昧な私に対して、今はなき児童文学者柴田道子さんは言った。「みんな覚えてしまいなさいヨシモトを!」。悔しいことに時間がなく対象を限定するしかなかった。 結果、吉本の解説部分しか読めなかった。戦後教育を受けたものにとって、戦前の文献は殆ど外国のものと同じと思う。「大日本帝国」と「... ...続きを見る |
2006/08/10 22:22 |
田中康夫知事の6年と、その後は---。
任期満了に伴う県知事選挙は8月6日投開票し、村井仁氏(69)が当選、三選を目指した田中康夫氏(50)は落選した。 一昨年の冬、初めて県庁に行った。ガラス張りの知事室を見るのが目的だった。その後、県の運営する老人大学の案内を「コンセルジェ」に頼んだ。3階の老大の係まで案内してくれた。 記憶では、その前県庁舎に入ったのは、県庁舎ができた時、広告代理店Nで、建設会社の依頼による映画を撮っている時だと思う。思い出は、知事室を撮影している時、カメラのK氏が照明の照度を上げるべく電圧を調節している... ...続きを見る |
2006/08/08 23:10 |
石光真清『城下の人』 大日本帝国の姿が見えてくる
石光真清は、日清・日露・第一次大戦を通じて諜報活動などに従った政治的軍人。『城下の人』はその自伝的ノンフィクションの第1部。明治元年に生まれ、32歳でロシアへ留学するまでを描いている。抜粋でつないで見る。 神風連の騒動に続く西南戦争は、熊本城下を広漠たる焦土に変えて終焉した。 日清戦争は、明治29年4月17日には下関で講和条約が調印され、清国は台湾と遼東半島を日本に割譲し、2億テールの賠償金を支払う事になった。ところが遼東半島の割譲については、突如としてロシア、ドイツ、フランスが共同し... ...続きを見る |
2006/08/07 18:43 |
被爆体験 拡張された記憶の中でも---。
先日、評論誌「溯行」に38年前に購入した東松照明の最初の写真集『11時02分 NAGASAKI』について書いた。 書き始める前に長崎で被爆した作家、林 京子が気になったので長野駅前、平安堂書店の検索端末で林 京子を検索した。1画面に10件あり、多分10画面はあったと思う。約100件は在庫はなかったがデータは存在した。 しかし、目当ての講談社文芸文庫の『祭りの場・ギアマン ビードロ』はデータとしても見当たらなかったので、結局インターネットで注文・購入した。 先月、「溯行」127号が出... ...続きを見る |
2006/08/06 15:04 |
金子万平メルマガ「長野暮し」から
金子万平さんからメルマガ「長野暮し」が着いた。 ●万平菜園、水害に遭う 万平さんは、千曲川の河川敷に畑を借りていて、7月19日に増水ですっかり深い水の下に没した。翌日行って見たら、水は1日で引いていた。そのあと、キュウリ、ピーマン、唐辛子、ジャガイモなどの被害の状態を報告している。私は作物を作ることなど思いもおよばぬことなので、とりあえず、ご苦労さん、という言葉しか思い浮かばない。 ●石光真清のこと 私が石光真清『城下の人』を購入したのは、奥付から類推すると、40年以上前のことだが、結... ...続きを見る |
2006/08/04 21:50 |
「オシムの言葉」へ
1945年、ユーゴ社会主義連邦共和国成立。53年チトーは初代大統領に。68年ソ連のチェコ武力介入に反対、ブレジネフの制限主権を許否、自主路線を歩む。1980年、チトー死去。 映画『アンダーグラウンド』の監督クストリツァの言葉ー。 「---チトーは民主的な遺産をなに一つ残さなかったのです。私たちがチトーが死んだ後もお互いに殺し合うことなく暮していくための遺産を残さなかったのです。彼は40年もユーゴを支配したのですから。その遺産を残す時間は十分あったはずです。それなのに人々を統制するばかりで... ...続きを見る |
2006/07/31 15:01 |
初めてのサッカー観戦は 鹿島・FC東京だったが
7月22日松本市サッカー場、アルウィンで、初めてスタジアムでサッカーを観戦した。FC東京のサポーターの息子の招待によるものである。FC東京対鹿島アントラーズ、午後6時のキックオフだった。 高校の体育の授業でサッカーを体験しているのだけれども、人の後について、ひたすら走っているばかりで、ボールに触れる事も見ることもなかったと記憶している。 当日の試合は、2−4で鹿島が競り勝ったのであるが、電光表示で知ったわけで試合のプロセスに関しては、高校時代の水準と全く変わっていない。 しかし、サ... ...続きを見る |
2006/07/25 15:20 |
『富岡日記』から『散るぞ悲しき』へ
私はこの春、同人誌「層」に『大日本帝国初の民営製糸場ー和田英とその時代』という文章を書いた。和田英と言うと『富岡日記』で、群馬県の富岡製糸場に伝習工女として行き、製糸業を学び、地方に伝える物語と言うのが一般的なイメージである。 私は、日清・日露の両戦争に従軍し、傷ついた帝国陸軍軍人の夫と、和田英の物語をイメージしようと思った。 今度の大宅壮一ノンフィクション賞は『散るぞ悲しきー硫黄島総司令官・栗林忠道』で梯久美子が受賞した。 1999年(平成11年)、長野高校創立100周年記念番『... ...続きを見る |
2006/07/20 16:45 |
北朝鮮のミサイルを通して見えるものは?
7月5日の北朝鮮のミサイル発射以降、この問題でメディアは埋め尽くされている。事態がどのように推移していくのか、私には分からない。 5年前、ドン・オーバードーファーの『二つのコリア---国際政治の中での朝鮮半島』を読んだ。当時、信大の開放授業で「現代韓国論」をやっていたので、夢中で読んだ。若畑省二先生の推薦図書でもあった。 第1章の「野鳥さえずる非武装地帯」は、非常に印象的だったので、この秋には、「板門店観光」に出かけようとも思っていた。 読後の記憶が薄れてきたので「日本語版への序文... ...続きを見る |
2006/07/12 21:32 |
「溯行」127号から 「司馬遼太郎とノモンハン」の謎
評論誌「溯行」127号が、6月25日に出来た。 たかはしたみをが『番頭一代』という旅館という世界で見聞きした事柄を書き進めている。 今回は、戸倉温泉にかつてあった山楽荘という旅館の主人だった須見新一郎のことにも触れている。須見氏は「ノモンハン事件」の生き残りであることを、以前たかはし氏から聞いた。 私が半藤一利の『モノンハンの夏』を読んだとき、巻末の参照文献の中に、2点の須見氏関係の本を見た。『実戦寸描ノモンハン』須見新一郎 須見部隊記念会 、『須見新一郎遺稿抄』須見部隊会、の2冊であ... ...続きを見る |
2006/06/30 21:31 |
林 京子『祭りの場』から
林 京子の『祭りの場』を読んだ。 「突然急降下か急上昇か、大空をかきむしる爆音がした。空襲! 女が叫んだ。物音を聞いたのはそれだけである。文字にすれば原爆投下の一瞬はたったこれだけで終る。ピカもドンもない。秒速360mの爆風も知らない。気づいたら倒壊か家屋の下にいた。」 林 京子の1945年8月9日午前11時02分である。 「踊りの輪には大学生も、混じり40人はいた。無言劇のように物悲しい学徒出陣の踊りー」 (中略) 「 ありがとう---出陣学徒が敬礼する。 また逢おう--... ...続きを見る |
2006/06/11 21:37 |
町田康から「男前社長」を連想した
金箔が入った日本酒がある。その酒を飲み続けるとどうなるか?胃が突っぱらかるというか、違和感を感じる。金箔が胃に張り付いているイメージから神経的症状である、と町田康は考える。そのイメージは、秀吉の胃、次に、黄金ストマック、そして『僕の胃は聚楽第』と言ってみる事にする。そして、タイトルは「実に大事であって、人間は常日頃からタイトルのことだけを考えて生きていかねばならぬ、---」『つるつるの壷』から 6月7日のTBSテレビ「世界バリバリバリュー」のコーナーで〈あの大ヒット豆腐の社長は”男前”か... ...続きを見る |
2006/06/10 20:56 |
東松照明 〈11時02分〉 NAGASAKI を読むため長崎へ
5月25日から27日まで、2泊3日で、長崎、福岡方面へ行った。松本空港から福岡空港に行き、電車で長崎に入った。 写真家、東松照明の最初の写真集『〈11時02分〉 NAGASAKI』は1968年に出ているが、今度、実際に長崎に行って、この写真集を見直して見ようと思った。 長崎から帰ってこの写真集を見直している。まず、最初に11時02分で止まっている懐中時計の写真から始まり、続いて原爆中心点で、人間の手とガラスが高熱で溶融し一塊になった写真が続く。それから、要所要所に被爆者の証言が挿入され... ...続きを見る |
2006/06/02 00:08 |
5月15日 木のある暮らしは今?
先月末、わが町内にGakoと言うお店が出来た。小林雅光さんが始めた、手作り木工家具工房Gakoである。 今日、そのお店に行ってスツールを買ってきた。stoolと言うのは、背もたれも肘掛も無い一人用の椅子、と言うことを今改めて辞書で確認した。 買ってきたスツールは、高さが53センチ、掛ける部分の直径が25センチ。台所に置いて「豆の煮えるのを待つ」などに使用するつもり。 1986年、あるきっかけがあって、オーク・ヴィレッジの稲本正の『緑の生活』を読んだ。1945年に生まれた稲本が理論物... ...続きを見る |
2006/05/15 22:14 |
5月14日 テゼの祈り きれぎれ
昨日13日午後6時半から、清泉女学院大学の聖心館で開かれた、植松功さんを迎えて黙想と祈りの「テゼの祈り」という集いに参加した。テゼ共同体は、フランスの小村テゼにある男子修道院とのこと。 今月下旬、知人から、フランス巡礼10日間の旅に誘われた。「聖母マリアとベルナデッタを訪ねる旅」という企画である。パリ・シャルトル・ヌベール・ルルドと回る。今までキリスト教と無縁であり、また健康上の理由もあり、見送った。その件を、高校の同期生で、清泉女学院のシスター窪寺洋子さんに話しておいたら、それなら同じフ... ...続きを見る |
2006/05/14 20:52 |
5月12日 今日からADSL 大日向村 河原のアパラ
今までネットはダイアル・アップでやっていたが、今日ADSLに接続した。昨日まで、モデムやスプリッターにランケーブルとか悩んでいたが、プロバイダーのほうから訪問サポートの人が来てくれたので、無事接続が完了した。 午後、長野の古書店、大正堂からの電話で『大日向村開拓団の記録 満州・浅間開拓の記』が入荷したとの連絡。すっかり忘れていたが、昨年の9月2日長野放送のテレビで『大日向開拓物語ー「満州」そして軽井沢』を見た後、注文したのだった。 取材・執筆は、今テレビの経済関係のコメンテーターで活躍... ...続きを見る |
2006/05/12 21:33 |
5月10日 遂に「町田康」を読んでいる!
評論誌「溯行」を主宰している立岡和子さんから、町田康は面白いから読むようにと薦められたのだが、著書を何冊か買ったまま読めなかった。奥付から推定すると、7年前になる。 数日前まず、随筆集『つるつるの壷』を読み、その後『くっすん大黒』を読み面白かった。 どのように面白かったのかを書くのは、意外と難しい。 例えば『つるつるの壷』の中に「顔各種」という文章がある。 「エッセーを書く場合、パーソナルコンピューターのワードプロッセサーのアプリケーションソフトを使って書く場合が多い。ところが、「... ...続きを見る |
2006/05/10 11:34 |
5月9日 信州松代、日本初の民営製糸場は?
同人誌「層」に『富岡日記』の和田英のことを書き、先日校正刷りが上がってきた。文章の始まる前にカットが入ると言うので、いろいろ考えた。 『富岡日記』と言うと明治の初め群馬県の富岡製糸場へ行って製糸業を研修してくる記録と捉えがちだが実際には第1部に相当する『明治6・7年松代出身工女富岡入場の略記』と第2部『明治7年7月より12月まで 大日本帝国民間蒸気機械の元祖六工社創立1年の巻・製糸業の記』そして、英の母の躾について書いた『亀代子(きよこ)の躾(しちけ)』が第3部に相当する。これらを通して見... ...続きを見る |
2006/05/09 20:33 |
5月6日 「朗読・ナレーション」の教材から
今日、午前中は、カルチャー「朗読・ナレーション」の講座で、今回は、教材として、昨年11月に放送されたSBCのテレビ番組『清水さんの李平(すももだいら)」のVTRを見る。ナレーション担当は、講師の小山菜穂子さん。 長野県小川村の一番奥深いところに李平という小さな集落がある。かつて13戸の農家があったが、集落整備事業で、皆山を下り、今では一組の老夫婦だけになった。 番組では、清水平吉さん85歳と、妻のふじ子さん夫婦の一年を追う。葉タバコの栽培などもう作業に春、夏、秋を過ごし、冬は里に下り、... ...続きを見る |
2006/05/06 21:41 |
5月5日 姜尚中の本を買いに行く
長野駅前の平安堂から、注文しておいた本が入ったと連絡があったので受け取りに行った。 姜尚中の『東北アジア共同の家をめざして』である。先日『姜尚中の政治学入門』を読んだ。 それまで、信州大学市民開放授業で、何回か『政治学入門』を受講したが、「政治の課題」とか「統治のプロセス」とか、煩雑で、遠い世界に見えてしまう。 「過去を直視すれば、確かに八月革命説のほころびが明らかになります。例えば、治安維持法違反で拘留された三木清が獄死するのは、1945年9月のことです。-----私自身、この八月革... ...続きを見る |
2006/05/05 22:37 |
戌(いぬ)の大満水景況---1742年 「お江戸でござるは、現代でござる」
通明中学の同級生、渡辺喜代子さんが、本を出した。A4版、380ページの大作である。長野市篠ノ井石川の亡き母の生家(穂苅家)に伝わっていた江戸時代中期の古文書に書き下し文と現代文をつけた『川中島平の昔のはなしー「万傳書覚帳(よろずつたえがきおぼえちょう)』である。 まず、冒頭に「下石川 鹿野五左衛門 殺害につき成敗」という文書が出てくる。享保14年(1729年)五左衛門宅に、押し込み強盗が入る。しかし盗人は五左衛門に切りまくられ皆逃げる。しかし、庭まで追いかけて出た所で、逃げ遅れた盗人に五左... ...続きを見る |
2006/04/24 22:50 |
竹島と1905年
竹島(韓国名・独島)周辺海域で海上保安庁が計画している海洋調査を巡り、日韓の緊張が高まっている。 西牟田靖『僕の見た「大日本帝国」』には《民族意識に訴える「聖地」》の章がある。書き出しは「これから書く話は本当は韓国の話ではない。日本国内を旅した話だ。だがいまそこは日本から行くことは不可能で、韓国からしか行くことが出来ない。 西牟田さんは、高速船にのって「竹島」へ向かう。クルーズの全航程約3時間、「独島」を30分かけて2周して戻ってくる。乗っている800人の韓国人をすべて敵に回したような... ...続きを見る |
2006/04/21 18:11 |
卒業50周年通明中2組同級会
4月15日に、通明中学昭和31年(1956年)卒業の同級会が上山田温泉、清風園でありました。卒業が1956年ですから、卒業して50年ということになります。 50年ぶりに会う友達も何人かいました。卒業の時、54人いた同級生のうち25人が集まりました。25人集まれば、それぞれ25の物語があるのだけれども、一晩で聞ける物語は限られています。数人の話を聞くことが精一杯でした。 自動車産業の部品製造に携わってきたTさん、食肉の卸販売を半世紀にわたってやってきたNさん、記述するには、具体的なことを... ...続きを見る |
2006/04/18 22:58 |
男、女そして国---。映画『北の零年』から
一昨年、公民館の身近な地域の史跡探訪で北海道に、私の出身校、篠ノ井の通明小中学校と同名の学校がある事を知りました。 大正6年(1917年)から国は、千曲川の改修工事を行い、それに伴う耕地の減少により、県は、北海道開拓移民を募集します。現在の長野市篠ノ井の横田という地籍から、大正8年(1919年)他村の者も含め26人の開拓団は十勝に移住します。 「狐狸の横行する昼なお暗き蒼々たる原野であった。住宅も掘っ立て小屋で、殆ど皆、川のふちに建てた。土間に草をならべむしろを敷き、囲炉裏は焚火で、カン... ...続きを見る |
2006/04/01 00:21 |
マルロオ 『胡桃の木』の思い出
若い頃、どんな本を読んだかを語るのは、なにか気恥ずかしい気がします。私の場合、読んだと言っても、勢いで目を通したに過ぎず読んだというには程遠い感じがするからです。 当時、サルトルやカミュが流行でしたが、私はマルロオに惹かれました。 ヒトラーとスターリンが手を結び、ナチス・ドイツはポーランドへ侵入した頃、「百パーセントの反スターリン主義、この一言につきる」というマルロオの言葉が伝えられています。 ハンガリー動乱の時の新聞、雑誌などで伝えられた「スターリンの亡霊」という言葉が印象に残りま... ...続きを見る |
2006/03/31 00:10 |
人生の秋を感じる時、バイク・フランス語そして---。
雑誌「文学界」4月号を見ていたら、石黒達昌と言う人が、エセーのなかで、ローマで会った現地在住の日本人の言葉を紹介していました。 「イタリア語をマスターするのにかかる期間は十代が一年、二十代だと二年、三十代では三年、四十代では永遠」---まさに腑に落ちる言葉です。 私は五十歳直前に、バイク・自動二輪中型の免許を取りました。しかし、免許があることと乗りこなせるかは別問題で、最後までコーナリングのテクニックが身につかず、団体のツーリングになると、ついていけない、と言うことで昨年バイクを手離し... ...続きを見る |
2006/03/27 09:32 |
和田英とその時代---『富岡日記』を読み直す
群馬県富岡市にある「富岡製糸場」、以前から気になっていた場所でしたが、3月8日に行って来ました。 明治6年(1873年)長野県、松代町から横田英たち16人が富岡製糸場へ伝習工女として入場のため出立します。富岡まで5日かかりました。現在は、新幹線で高崎まで、それから上信電鉄に乗り換えて、待ち時間も含めおよそ2時間で着きました。 富岡製糸場は、日本の木造建築と西欧のレンガ造りを取り入れた「木骨レンガ造り」。レンガを地元の瓦職人を動員して苦心の果てに造り上げるなど、フランスの技術を日本の風土... ...続きを見る |
2006/03/24 22:54 |
宮入慶之助記念誌から 「女工哀史の時代」
宮入慶之助は、日本住血吸虫の感染を媒介するものが淡水の貝であることを1913年に発見。その貝は現在ミヤイリガイという和名で呼ばれている。 宮入慶之助記念館は、生地、長野市篠ノ井西寺尾にある。その館から、『住血吸虫症と宮入慶之助ーミヤイリガイ発見から90年』という記念誌を発行したという連絡がきたので、購入してきた。 ここしばらく、和田英の『富岡日記』についての雑文を同人雑誌向けに書いていたので、製糸業がらみの文章が目に入った。清永 孝「慶之助とホタルと左京」。 若き宮入慶之助が衛生行... ...続きを見る |
2006/03/21 22:26 |
海の特攻---里村りえ子『戦後六十年の視点』から
里村さんの個人誌「木もれ日」は年一回発行され最新号は2005年12月31発行の第9号『戦後六十年の視点』で、サブタイトルが〈特攻、徴兵忌避、靖国、加害責任〉である。 A5版56ページの小冊子ではあるが、内容は数百頁に匹敵すると思う。順序立った紹介は難しいので、今回は、「特攻」に限って、私が連想したことを書き留めて置く。 2002年(平成14年)岩井忠正・忠熊兄弟は『特攻』−自殺兵器となった学徒兵兄弟の証言ーを出版する。実は弟の忠熊氏は、里村さんの大学時代の恩師だった。先生が「特攻」だっ... ...続きを見る |
2006/03/05 23:24 |
西牟田 靖『写真で読む僕の見た「大日本帝国」』について
以前、この私のブログで『僕の見た「大日本帝国」』の感想を書いた。その後、著者の西牟田さんからコメントを頂いた。今度、未公開写真を400点を収載した、新たな書き下ろし『写真で読む僕の見た「大日本帝国」』を発刊したとの連絡だった。早速購入して読み始めた。 終戦直後、学校では教科書上の「大日本帝国」に関わる部分を墨で塗りつぶしたという。私は戦後小学校に入学したので、それに関しての直接の体験は無い。 「大日本帝国」は、墨塗り、封印され、影も消されていったのだと思う。今度の「メール問題」も黒く塗... ...続きを見る |
2006/03/02 21:17 |
8月13日長野空襲 黒岩六郎自叙伝からC
昭和20年、戦争が終る直前のお盆8月13日、長野市とその周辺が空襲を受ける。それまで空襲警報は出されたが、実際に弾丸が飛んできたのは、この8月13日が最初で最後だった。 黒岩六郎さんは、日の出航空の仕事で汽車で新潟県の直江津に行く途中、長野駅で空襲に遭遇する。黒岩さんは、とっさに機関車の下にもぐり込み、敵機が去るのを待つ。 この空襲で、長野駅、機関区等に損害がで、被弾して亡くなった人もいた。 「次の一隊が再びやって来て、今度は篠ノ井駅や、篠ノ井女学校周辺に弾を浴びせてきた。万代町の松... ...続きを見る |
2006/03/01 21:22 |
3月10日東京大空襲---黒岩六郎自叙伝からB
昭和20年、戦局はどんどん悪化していくが、日の出航空はますます忙しく業績も向上していく。国民の苦しみと反比例して、軍需産業ほど儲かるものは無いのだ。 黒岩六郎さんは、社長と二人で、部品の仕入れに東京へ出掛ける。一般の人は汽車で出掛けるにはいちいち証明書が必要な時代だったが、軍需工場の仕事ではいくらでも証明書がでた。 しかし、東京へ着いたのは3月10日の東京大空襲の翌日で一帯は、焼け野原になっていた。焼死体が折り重なり、まさに地獄の光景を目撃する。 「戦いとは------自分は闘いのた... ...続きを見る |
2006/02/27 22:16 |
ご近所に兵器工場があった---黒岩六郎自叙伝からA
わが家から、歩いて10分位の所に篠ノ井劇場があった。私が現在地に来たのは昭和25年(1950年)小学校3年の頃であるが、その当時は映画館だった。やがて映画が衰退して、家具屋や、スーパーマーケットの仮店舗になったりしていたが、数年前、取り壊されパチンコ屋になってしまった。 しかし、黒岩六郎自叙伝『二十一世紀へ生きる』によれば、60年以上前、戦時中は兵器工場になっていたとのこと。当時の社長もご近所の人だった。「ご近所の底力」は、戦時下においても充分に発揮されていたのだ。 高橋哲哉は『靖国問... ...続きを見る |
2006/02/21 22:27 |
よこすか海軍カレー 靖国神社・遊就館から
2月10日、靖国神社に行き、軍事博物館・遊就館を見た後、売店で「よこすか海軍カレー」というレトルト食品を買ってきた。昔懐かしいカレーの味だった。 「海軍カレー」から、日清・日露戦争の時代「麦飯男爵」と呼ばれた海軍医・高木兼寛のことを思った。かつての軍艦カレーには麦飯が供されたのだろうか? 当時、脚気の原因を巡って、陸軍医・森 鴎外と海軍医・高木兼寛は大論争を展開する森 鴎外は白米食こそ元気の素と主張、一方、高木兼寛は麦飯こそ脚気の治療に有効であると主張する。 陸軍は日清戦争で4万1... ...続きを見る |
2006/02/14 20:47 |
それは零式戦闘機を作る地下工場だった 黒岩六郎自叙伝から@
黒岩六郎さんの自叙伝『二十一世紀へ生きる』の中で特に興味を引かれるのは、終戦前後の軍需工場に関しての経過が具体的に書いてあるところである。 戦争中に黒岩六郎さんの最後の仕事になったのは、日の出航空という中島飛行機の下請け工場を作ったことだと言う。この地上の工場は軌道に乗る。 その後、今の長野市篠ノ井塩崎に、日の出航空の地下工場の建設が計画される。零式戦闘機を作るための地下施設である。 『塩崎村史』による、として、経過が記述されている。 「計画された地下工場は零式戦闘機をつくるため... ...続きを見る |
2006/02/07 20:19 |
追悼 同級生、黒岩 仁さん
1月26日、小学校と高校で同級だった黒岩 仁(ひとし)さんが亡くなった。昨年11月の滝沢章臣(あきとみ)さんに続いての訃報に声を失った。 昨年の夏、黒岩さんが、わが家に訪れた。珍しいことで、多分、初めてだったと思う。 その日は、黒岩さんの父上、黒岩六郎さんの自叙伝、580頁余の大作『二十一世紀へ生きる』を携えていた。そして、丸山真男のビデオカセット、紀伊国屋書店製作の、シリーズ学問と情熱の第30巻『丸山真男〜響き続ける民主化への執拗低音』だった。 『二十一世へ生きる』は、自叙伝といい... ...続きを見る |
2006/01/30 18:15 |
ITの原点 ウィーナー『人間機械論』から
ノーバート・ウィーナーは、ノイマン、シャノンらと共に、情報理論の創始者の一人である。 ウィーナーの『人間機械論』に対して、吉本隆明は1967年に「機能的論理の彼岸」という文章を書いている。 「サイバネティックスのすさまじい自信、いいかえれば、人間的過程を刺激伝達機械と共通のメカニズムのもとに考察することで得られる成果に過剰な自信をもっているのにくらべて、この創始者の〈法律〉にたいする見解は、あきれるほどひかえめで、陳腐である。 もともと理論には理論自体の本性から不得手な分野というのはあ... ...続きを見る |
2006/01/25 22:35 |
ライブドアと「からっぽの洞窟」!?
ライブドア事件の報道を見ていて、以前読んだクリフォード・ストールの『インターネットはからっぽの洞窟』を思い出した。以下、訳者、倉骨 彰のあとがきによる。 原題は”Silicon Snake Oil”。「スネークオイル」の意味は、蛇の生薬エキス。アメリカの西部開拓史時代には、万病の特効薬スネークオイルを売り歩く、にせ医者えせ薬剤師といった商人が横行したという。それから転じて現在では、効能のさだかでないものを万能薬として売り歩くセールスマンのこと。インターネットが現代版万能薬のように喧伝され、... ...続きを見る |
2006/01/25 21:13 |
「平和って何?シンポジウム」から 《戦争神学》について
12月18日、長野市上野の清泉女学院大などで作る実行委員会の主催で、同大学で「第1回 平和って何?シンポジウム」が開かれた。 パネリストは、キリスト教界から、松浦悟郎、島津晃、仏教界からは、松島澄雄のそれぞれ、牧師と住職の皆さんだった。 私は都合により、3人のお話、それぞれ15分位、を聞き途中退席した。後で、当日配られた、パンフレット、チラシとお話しのメモを見返して見た。 まず、印象に残ったのは、2001年9月11日以降、宗教者が、相互理解への努力を始め、連帯して平和や命の尊厳のた... ...続きを見る |
2005/12/25 12:02 |
今日の耐震強度偽装問題証人喚問・テレビ中継からの連想
プリーモ・レーヴィの「灰色の領域」について考えていたら、この夏、読んだ加藤典洋の『敗戦後論』の中で論じられていたハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』のことを思い出した。 1960年、元ナチの戦犯がイスラエルの国家機関に捕らえられ、1961年に裁判が開かれる。 ハンナ・アーレントはこの裁判を傍聴し、そのルポルタージュ『イェルサレムのアイヒマン』を出版する。出版後、欧米のユダヤ人社会を中心に大きな議論を呼び、反アーレント・キャンペーンが巻き起こる。 いくつか理由があるが、そ... ...続きを見る |
2005/12/14 21:14 |
アウシュヴィッツから続く「灰色の領域」について
プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終らない』を読んだのは、3年前だった。 今度、同じ著者の『溺れるものと救われるもの』を読んだ。 プリーモ・レーヴィは解放から40年後に自殺する。この本は、その死の1年前、1986年に刊行されている。40年の思索が凝集したいわば遺書と言えるかもしれない。だから、容易に要約も出来ないし、感想を書くのも難しい。 テーマの一つが「灰色の領域」である。 アウシュヴィッツという殺人工場を管理運営していたのは普通の人々だった。ここに最大の問題がある。ひとたび... ...続きを見る |
2005/12/12 22:57 |
12月8日に、ノモンハンから真珠湾への道を思う
ノモンハン事件の生き残りの赤澤さんと言う人が11月18日に亡くなったと言うことを、ご近所のお茶屋さん、たちばな園茶舗の田中春江さんから聞いたのは、5日あとだった。 赤澤守人さん、長野市篠ノ井塩崎出身、享年87歳だった。私は、その話を聞くまで、赤澤さんの存在を知らなかった。一度でいいからお目にかかってノモンハンの話を聞きたかった。赤澤さんがノモンハンの語り部であり、田中さんはその良き聞き手であったようだ。 しかし、赤澤さんは平成2年に、『戦斗と戦友』というB6版、52ページの小冊子を作っ... ...続きを見る |
2005/12/08 18:13 |
パリ、男と女、カルヴァドス---遥かな『凱旋門』から
先月22日の『信州りんご文化誌』の発刊記念の会は、りんごブランデー=カルヴァドスの乾杯で始まった。私はカルヴァドスを知らなかった。 カルヴァドスと言えばレマルクの『凱旋門』と言うのが、ある時代の常識であったらしい。 近所の書店で『凱旋門』を探したが、なかった。新潮文庫は絶版になっていた。結局、「復刊ドットコム」版を購入した。 1976年、今から29年前、マルローが死去した時、身近な仲間約10人を集めて、「アンドレ・マルローを偲ぶ会」を開催した。要するに、酒を飲む口実のための会だったが... ...続きを見る |
2005/12/07 23:07 |
カルヴァドスで乾杯!!リンゴ料理を楽しんだ!
市川健夫編著『信州りんご文化誌〜幻の和林檎を追って』発刊記念の会は、一昨日夜、ホテル信濃路で開かれた。 まず、前県立歴史館長・市川さんのお話しから始まった。 りんごには野生種と栽培種があり、野生種にはズミ、エゾノコリンゴがあり、栽培種には、和りんごと西洋りんごがあること、という基本的な話から始まった。 島崎藤村の詩「初恋」にうたわれたりんごは、西洋りんごが入ってくる以前の和りんごであったこと。アメリカから西洋りんごが入って来て、どのように定着して行ったか、そして、いかに信州がりんごの... ...続きを見る |
2005/11/24 21:21 |
追悼 同級生、滝沢章臣さん
11月15日、滝沢章臣(あきとみ)さんが亡くなった。 章臣さんと私は昭和16年生まれ、昭和23年に通明小学校に入学した同級生。だから、何となく彼を知っているつもりでいた。しかし、本当は何も知らなかった。 それが、この夏以来の3回の交信で、彼の姿が初めて鮮明に見えてきた。 まず最初は、8月25日、章臣さんは、自分で作った桃をダンボールに1箱、携えて、前触れも無くわが家に現れた。その時の彼の話で特に印象深かったのは、天満敦子や、千住真理子のコンサート行って非常に感動したことなど、音楽や絵... ...続きを見る |
2005/11/20 23:11 |
フランスの暴動はなぜ?A西欧の深層には---。
ロートレアモンの『マルドロールの歌』。 勤め先に若い頃から熱心に研究している先輩がいたので、その存在は昔から知っていた。 そして、先輩T氏の著書『ロオトレアモン覚書』に目を通し、栗田勇訳『マルドロ−ルの歌』を買ってはきたが、私にとっては終始難解で読み通せなかった。 手許に前川嘉男訳、ロートレアモン伯爵『マルドロールの歌』がある。 カバーの著者プロフィルは、 「ロートレアモン伯爵(1846〜1870)本名イジドール・デュキャッス。南米のウルグァイに生まれ、13歳の時ひとりで父の故郷・フラ... ...続きを見る |
2005/11/15 20:58 |
国勢調査についてC その「お上意識」について
国勢調査の用品一式、ダンボール1箱が私の手許に到着したのは8月末日だった。しかし、他のイベントの準備などに追われて、実際に準備に入ったのは調査日10月1日の約10日前だった。ギリギリの線である。 急遽マニュアルを読んだが印象は「官僚的」ということだった。 マニュアル(調査の手引)によると、調査員の身分は非常勤の国家公務員なのだが、その心得として、「常に公務員としての自覚を持って行動してください。」とある。つまり「お上意識」である。 調査期間中に注文しておいた山本勝美著「国勢調査を調査する」... ...続きを見る |
2005/11/05 21:29 |
店舗面積約7万u、超大型店がわが町にやって来る時---。
わが町にある、長野オリンピックの開閉会式場の界隈に、大手スーパーが店舗面積約7万uの超大型店を計画しているという。地域住民の生活空間が激変することは間違いない。しかし、その庶民レベルでの議論は、相当に甘い見通しのものが多い。 今から、30年ほど前、私は当時勤務していた会社のPR誌の取材で、一橋大学の、ドイツの歴史が専門のY教授(当時)のお宅にお伺いしたことがある。スーパーが進出して、町の魚屋さんや八百屋さんが無くなる状況について、実家が長野の老舗であるY先生は、「ドイツでは、そういうことはあり... ...続きを見る |
2005/11/02 21:29 |
オウンゴール 自民圧勝 その歴史的背景は?
今回の選挙の自民圧勝は、野党のオウンゴールによる結果だった。 9月15日の毎日新聞のコラムで、川本祐子が発言している。 《みんなが民主党に対して持っていたイメージは「都市型改革政党」だったが、結局内容はそうではなかった。内部的に(労働組合など)いろいろな勢力をきちんと整理しきれなかったことが郵政民営化反対という意見に出た。そこが敗因だ。》 川本氏は、これからは「改革競争」が政治テーマになって行くとする。 ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』の中に〈昔なじみの「新しさ」〉という節がある... ...続きを見る |
2005/09/18 23:46 |
コラム 西川恵の《ハリケーン「カトリーナ」考》から
米国南部を襲ったハリケーン、カトリーナの報道を見ていて、アメリカとは、こんな国だったのかと考えさせられた。アメリカについては、現地に行ったことはなく書物や、その他メディアを介してイメージを作ってきたのであるが。 1999年に出た、マーガレット・バーク=ホワイトの写真集を見直した。そして、あらためて、彼女の写真は、20世紀を見事に写し撮っていることを確認した。 写真週刊誌「ライフ」は1936年に創刊されるが、彼女の写真はその創刊号の表紙に採用されている。 モンタナ州の「フォートベック... ...続きを見る |
2005/09/10 18:48 |
「「世代間の距離は増大の一途」吉本隆明『老いの流儀』から」について
「「世代間の距離は増大の一途」吉本隆明『老いの流儀』から」について ドラッカーの『断絶の時代』は、1969年に翻訳・出版された。 それから、30年後、1999年に新たに翻訳され新版が発行された。 新版が出てから、すでに6年経ってしまった。 ドラッカーの言葉、「知識社会の到来こそ、もっとも重要な断絶である!」がキーワードだと思うのだが、その実体を、実感として捉え切れていないが、「世代間の距離」を読み解くカギもここにあると思う。 ...続きを見る |
2005/09/08 15:48 |
鎌田 實『それでも やっぱり がんばらない』から
鎌田 實の『がんばらない』に引き続き『それでも やっぱり がんばらない』を読んだ。 生老病死を巡る、いくつものエピソードに感動した。 「がんばる」と言う強迫観念のようなものは、どこから来るのだろうか。 明治時代の『小学読本』冒頭の一節は、「幼稚のときより、能(よ)く学びて、賢きものとなり、必ず無用の人となる無かれ」だという。この時代から、「がんばる」と言う事は国の求めるところだったのだ。 私は、戦後の教育を受けたのだが、やはり確実に、自分の中に受け継がれていると思う。 かつて、... ...続きを見る |
2005/09/04 21:18 |
坐骨神経痛の痛みを通して
一月ほど前から、左足のフトモモのうしろの部分が痛む。時により歩行困難になる。Y整形外科クリニックに行く。腰椎椎間板ヘルニアに起因する、坐骨神経痛という見立て。骨盤牽引、低周波刺激療法を受けるが、顕著な効果は現れない。 今日。紹介状を持って、千曲市にあるN病院へ、MRIの検査を受けに行く。 結果は、診断どうりだった。神経ブロック療法に入る。ある程度の効果を確認する。 吉本隆明の『老いの流儀』の冒頭に、杖について語っている。吉本氏も足腰の元気な頃は、杖のことなど考えたことが無かったと言う... ...続きを見る |
2005/09/02 21:16 |
太平観音焼失!しかし、不死鳥のように甦るのか?
8月28日午前4時、わが家の近く、長野市篠ノ井御幣川にある太平観音堂が炎に包まれ、木造平屋約160uをほぼ全焼した。現場は、通明小学校のすぐ東側にある宅地。 焼け跡に行ってみると、意外にも白壁の小さな建物が焼け残っていた。現場にいた同堂の関係者に聞くと、それは、かつての通明小学校の奉安殿を移転したものだとのこと。土蔵造りのため火が中に入らず、ほぼ完全な形で燃え残ったのだという。堂内に奉安殿が収納されていたのだ。境内の東郷・乃木両将軍像は無傷だった。 1946年(昭和21年)、「御真影」... ...続きを見る |
2005/08/31 18:39 |
鎌田 實の発見 『がんばらない』から
わが町にも祭りはある。しかし、幼少期は、たまたま祭りに接する機会を逃し、会社勤めしてからは、果てしなく続く繰り返しの連鎖の中に埋没し、住居のある地元とはほとんど無縁の暮らしに終始した。 鎌田 實の『がんばらない』を読んだ。何度もテレビでのトークも聞いているし、テレビドラマ化された『がんばらない』も見た。そして、知ってるつもりになってしまった。 『がんばらない』〈あとがきにかえて〉から 《あの時代の心の決着がぼくのなかでまだできていない。都落ちするな、という友人の言葉に逆らって、どうし... ...続きを見る |
2005/08/29 20:55 |
「世代間の距離は増大の一途」吉本隆明『老いの流儀』から
吉本隆明『老いの流儀』の中に「世代間の距離は増大の一途」という章があった。 若い世代は、自分たちがやっている遊びとか勉強とか、高度な玩具をいじっているとか、現状が勘でわかっていると思う。 一方、老人は依然として高度資本主義工業が主たる産業で、それ以外の産業はちっぽけな玩具を作っている軽工業と変わらないと考えている。 これが世代間の距離の構図であり、その距離は増大していく一方というのが現状ではないかと言う。 私も、ここのところ町内会に関わったり、大学の主催する市民公開授業に顔を出... ...続きを見る |
2005/08/25 21:56 |
島田亜希『旅立ち』 長野ペンクラブ・同人誌「層」から
当時20代の半ばだった主人公は、独身時代最後の旅に、思い出の深い琵琶湖東岸の街彦根市を訪ねることを思い立つ。めざすは、石田三成の居城があった彦根市の佐和山城址である。 しかし、母に反対され結局、母をだまして彦根行きを決行する。そのプロセスが様々な曲折があり、ユーモラスなエピソードもあり面白い。 佐和山城址からの帰り、石田三成に思いを馳せる。 「夢に終ってしまったが、彼は自分の信念を曲げなかったのだから、首を撥ねられてもきっと本望だったに違いない。わたしも、わたしの気持ちを大事にしよう... ...続きを見る |
2005/08/22 16:54 |
森 大造『夏の雨』 長野ペンクラブ・同人誌「層」から
8月12日は花市、そして13日から16日までがお盆だ。 《盆に無関心だったから食べた味覚や記憶は覚えていても、それを作って祭る日は疎覚えだ。 「十三日が天麩羅、やきもちは十四日だよ」》 わが家の近辺では、やきもちを、おやきと言うが、いつ何をするかなど殆どうろ覚えである。 そんな時、時の過ぎ行く早さをしみじみと感じる。 この作品の結末の方に--- 《財産や地位など世俗的なことには全く縁がなかった。たいした不平も愚痴も言わず、生涯を共にしてくれている妻を思う。》 そして、《俺の一... ...続きを見る |
2005/08/21 21:32 |
「男も女も灰になるまで」吉本隆明『老いの流儀』から
吉本のこの本には性に関しての言及が何箇所も出てくる。同じテーマが螺旋状に展開しているようにも見える。 《性に関したことわざで、よく「女は灰になるまで」とか言います。それは男も同じであって、性行為そのものがどうだということではなくて、老人の親密度も男女の性的な関係がある。》 楽しいとか、気分が晴れたとかいう第一の要因は男女の性的な関係が主体ではないかと、吉本は言う。 今から十数年前、私は勤め先の職場の先輩から、愛と性の遍歴を、包み隠さず聞いた。あたかも川の流れに身を任せているような、終... ...続きを見る |
2005/08/20 21:28 |
老いじたくの一環としての「エンディングノート」について
最近「エンディングノート」がシニア層の間でブームになっていると言う。 自分に万一のことが起きた時のために、伝達すべき様々なことを、まとめておくノートである。 自分が死んでしまう、或いは認知症になった場合など、葬儀や、介護・延命治療について、どうして欲しいかを書き記しておく。 私の父は、1977年7月29日に亡くなった。すでに28年の歳月が過ぎてしまった。 かなり長い間、病床に会ったのだが、その日のための準備は出来ていなかった。 急遽、家族の総力を挙げて、自宅での葬儀を行なった。 ... ...続きを見る |
2005/08/16 21:34 |
中村文則『土の中の子供』(新潮社)から
中村文則『土の中の子供』は今回の芥川賞受賞作。 幼少時に養父母によって虐待を受け続けた過去をもつ成年の物語。一読したが感想がまとまらないので、印象に残った部分を抜粋しておく。 最後の方の部分ー 《「なあ」ヤマネさんは慌てたように、声を大きくした。確かに、会いたくないのはわかるが、やはり、一度会った方がいいんじゃないか?そもそも、親が手放さなければ、君には違う人生があったんじゃないか。言いたいこともあるだろう?何しろ君の」 私は、もう一度ヤマネさんの方へ顔を向けることにした。 「僕は... ...続きを見る |
2005/08/10 21:31 |
吉本隆明『老いの流儀』から
吉本隆明の『老いの流儀』を読んだ。 80歳の吉本氏が体験や実感としての「老い」について語っていく。 「20世紀最大の事件はロシア革命とソ連の崩壊」の章に共感を覚えた。 「20世紀を俯瞰したとき、何がいちばん大きな事件かといえば、ロシア革命の成立とソ連の崩壊だと考えています。---(中略)---ソ連がやった社会主義の試みは、資本主義がやったことに比べて、どこもいいところはなかったということがはっきりしたわけです。」 ここで吉本氏はロシア・マルクス主義について、おさらいする。そして--... ...続きを見る |
2005/08/09 20:46 |
中山ニ基子著《「老いじたく」 成年後見制度と遺言》文春新書
なぜ「老いじたく」が必要かというと、自分がどんな老いを迎えるのかは誰にも解らないと言うこと。 これまで、日本には、元気な間に老後に備えておくと言う考え方がほとんどなかった。 しかし、2000年4月に「成年後見制度」が出来て、状況が大きく変わる。まず、何をキッカケにして「老いじたく」を考えるか。 まず、認知症が出たらどうしよう。次に、体が不自由になったらどうしよう。そして、子供との関係をどうしよう。この三つの「どうしよう」についての自分の生き方を決めて備えておくことが必要と言う。 ●... ...続きを見る |
2005/08/08 21:00 |
南木佳士の短編3本、「冬への順応」「長い影」「ワカサギを釣る」
文春文庫の作品集『ダイヤモンドダスト』に収められている、他の3本の短編である。 ●「冬への順応」 「夜になると発熱する日が続いた。 タイ・カンボジア国境で三ヶ月難民医療活動に参加信州の田舎に帰ったぼくは、寒さによわくなった老人のように背を丸めて暮していた。] ぼくは、浅間山ろくの小学校へ通っていた。神戸から1年生の途中から転校してきた同級生がやがて、初恋の相手になる。お互い、遠方に行くが、彼女が病を得て田舎に帰ってくるが、結局彼女は末期がんで亡くなる。 ●「長い影」 「帰国して... |