金児至誠堂

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help リーダーに追加 RSS 太平観音焼失!しかし、不死鳥のように甦るのか?

<<   作成日時 : 2005/08/31 18:39   >>

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 8月28日午前4時、わが家の近く、長野市篠ノ井御幣川にある太平観音堂が炎に包まれ、木造平屋約160uをほぼ全焼した。現場は、通明小学校のすぐ東側にある宅地。
 焼け跡に行ってみると、意外にも白壁の小さな建物が焼け残っていた。現場にいた同堂の関係者に聞くと、それは、かつての通明小学校の奉安殿を移転したものだとのこと。土蔵造りのため火が中に入らず、ほぼ完全な形で燃え残ったのだという。堂内に奉安殿が収納されていたのだ。境内の東郷・乃木両将軍像は無傷だった。
 1946年(昭和21年)、「御真影」は返還され、奉安殿は廃止された、と地域の歴史書には書いてあった。翌年、当時の通明小学校校長は、奉安殿前にあった東郷・乃木両将軍の胸像を即時撤去しなかったことを理由に進駐軍の意向により退任させられたのだけれども、大日本帝国を象徴するものはほぼ完全な形で残った事になる。
 関係者によると、今秋の例大祭は、テントをはり、靖国神社からゲストも招き開催予定とのこと。
観音堂もやがていつの日か再建されるとのこと。
 しばらく前、西牟田靖の『僕の見た「大日本帝国」』を読んだが、樺太や旧満洲に行かなくても、我が家からおよそ300mのところに、強固な共同幻想としての「大日本帝国」を見た。
 あらためて,戦後とは何だったのかと考えている。

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コメント(4件)

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数ヶ月前の金児至誠堂さんのブログで、初めて太平観音堂の意味を知りました。我が家の子供たちが足かけ12年間も通明小学校に通ったのに、通学路すぐ横の観音堂については、何も知らないままでした。火事の翌日のぞいてみたら、大型の重機が動いていて、観音堂は跡形もありませんでした。道路には、まだ少しススが着いていたのに、フェンスには、某政党の真新しいポスターが何事もなかったかのように掛けられていたのが印象的でした。
ゆきママ
2005/09/02 12:15
丸山真男の有名な言葉を思い出しています。
《私自身の選択についていうならば、大日本帝国の「実在」よりも戦後民主主義の「虚妄」の方に賭ける。》
未だに読み終わっていない『現代政治の思想と行動』の1964年に書かれた「増補版への後記」の結びの部分の言葉なのだけれども、太平観音堂の焼け跡に残った奉安殿の白壁を見ていると、「大日本帝国の実在」の強固さを目の当たりにする思いです。
「虚妄の戦後民主主義」をどうするか、それは難問ですネ。
至誠堂
2005/09/03 10:17
観音堂って火の気がないはずなのに、なんで火事になったんでしょうか……? そのあたりが気になります。
野良猫
2005/09/11 13:15
こういう場合、不審火と一括されてしまうのですが---。
文字どうり、不可思議です。
戦後、60年の年に、観音堂が焼失したという事実だけが残るのでしょう。
至誠堂
2005/09/16 09:13

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